若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

井上章一『伊勢神宮』

伊勢神宮や、神道について知りたいと思っても、図書館には適当な本がない。

伊勢神宮神道が日本人の心のふるさとで、実にすばらしいものである、というような本ばかりだ。

この本は、伊勢神宮の建物について書かれた本だと言ってもいいし、伊勢神宮の建物について日本人が考えてきたことについて書かれた本だと言ってもいい。

昔々は、伊勢神宮の屋根から突き出ているのは、天と交流するための、と言うような神秘的解釈が流行ったが、江戸時代半ばをすぎると、いや、あれは屋根の萱が飛ばないためのおさえである、と言う合理的解釈がされるようになった。

明治の初めに日本に来た外国人は、伊勢神宮を見て、東南アジアの土人の家レベルのオソマツなもだと感じた。
日本人も、オソマツとまでは言わなかったが、まあ、非常に質素なものだとは認めていた。
質素でいいじゃないか、と居直っていた。

昭和になると、いや、質素どころじゃない、簡素な美しさがすばらしいではないか、と言う話になった。
ギリシャ、ローマ以来のヨーロッパ建築に行き詰まりを感じていた、ブルーノ・タウトのような人も、伊勢神宮の「簡素な美しさ」に感動した。

明治の初めの「オソマツな伊勢神宮」と、昭和の、「簡素で美しい伊勢神宮」はちがうものかもしれないそうだ。
明治以来、「日本の象徴」となった伊勢神宮は、日本国の総力を上げて、金も手間隙も、惜しげもなくつぎ込まれた。
かつてない、立派なものになっている可能性があるようだ。

伊勢神宮は、二十年ごとに建て替えられて、古の姿を今に伝えていることになっている。
その伝統も、戦国時代には、百年ほど途絶えた。
本殿が朽ち果てたまま、八十年以上放置された。

それを再建するのに、神宮側と大工の資料をつき合わせたら、色々食い違いがあったそうだ。
コンピュータグラフィックスなどない時代だから、まあ、少しずつはちがってきてるかもしれない。

戦後の建て替えでも、建築主任みたいな人が、飾り金具が多すぎると言って、大幅に減らしてしまったこともあった。

この本の半分くらいは、伊勢神宮などについて、東大は東大、京大には京大の、建築学会、考古学会、それぞれの立場があるというようなことが書いてある。

せっかく皆さん一生懸命研究されてるのだから、もうちょっとオープンに批判しあえばいいのにと思いました。