若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

うさんくさい

伊勢神宮』で、井上さんは、「古代の建物の復元」について書いている。

遺跡の発掘現場から、柱のあとが出たというニュースを時々見る。
その柱のあとを参考に、○○文化財研究所が作成した、「復元図」を見ては、いつも感心してた。

柱のあとだけから、建物がここまで復元できるのか。
学問というのは立派なもんだ。

しかし、井上さんによれば、柱のあとからはっきりいえることは、柱が何本あったかということだけだそうだ。

柱が立ってただけかもしれない。
屋根も壁も床もなし。

そういうこともありうる。
邸宅を建設しようとして柱を立てたところで、サブプライム問題に端を発する縄文以来最大の経済危機に見舞われ、計画は中止になったかもしれない。

建ったとしても、伊勢神宮風のものだったか、東南アジアの村の、床も壁もない共同作業所風のものだったか、確実なことはいえない。

ただ、地元としては、伊勢神宮風の立派な建物だったということにしてもらえれば、うれしい。
じゃあ、そうしときましょう、というようなこともよくある話だそうだ。

古代の建物について書かれた文献は極めて少ない。
伊勢神宮について調べようと思えば、『古事記』『日本書紀』と『延暦儀式帳』などが基本文献になるようだ。

延暦儀式帳』というのは知りませんでした。
伊勢神宮の内宮の寸法なども記されているらしい。
この本に何度も出てくる。

伊勢神宮に関する通説を否定して衝撃を与えた丸山さんという学者についても、「丸山は、それまでの誰よりもていねいに、『延暦儀式帳』を読みこんできた」と紹介してある。

ところが、後書きの最後の最後になって、「『延暦儀式帳』じたいが、少々うさんくさいのだ」と書いてあるので、カックンとなった。

なぜうさんくさいかは、書いてない。
「うさんくさいのだ」で終わりです。

捨て台詞というのか、最後っ屁というのか、こんな言い方をされては、『延暦儀式帳』の面目丸つぶれだ。
こんな書き方をされてることを知ったら、『延暦儀式帳』が怒りますよ。

こんな書き方をするなんて、著者じたいが、少々うさんくさいのだ、というのは行きすぎだから、少々うさんくさいところもある人かもしれない、というにとどめておこう。