若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

音痴は治るのか?

 疑惑と当惑渦巻く車内に幹事の声が響いた。
「では、本日のカラオケ大会、締めは社長にお願いしましょう!」

 なぬ!社長!?

 この社長は、実に固い人であった。実務は専務任せで、私はほとんど話をしたこともなかった。歌を歌うとは思えなかった。
 そして、この日初めて、社長が酒に弱いことを知った。固い人が固いままへべれけになっていた。不思議な姿であった。

 「それでは、社長十八番『松ノ木小唄』!どーぞ!」

 ま、ま、松ノ木小唄!
一世を風靡し、いまや忘れられたところの「松ノ木小唄」を、固いままへべれけになった社長が歌いはじめた。

 絶句!

 これを音痴といえばお世辞になる!メロディはどこにある?リズムはどこに消えた?これは、音楽の三要素のすべてを欠いても歌は成立すると主張する極限のパフォーマンスなのか!?

 お経のようなとよく言うが、これぞまさしくお経そのもの。これこそ、開祖空海によって厳しく禁じられた真言密教に伝わる秘経、この経を唱えるとき世界は崩壊すると信じられ、かの麻原彰晃が血眼になって入手しようとしたという「松ノ木経」なのか?
 むむ、そういえば、社長はサンスクリット語で歌っている?

 更なる疑惑と当惑が渦巻き、苦悶の表情を浮かべ、もだえのたうつ乗客を乗せて、北陸の名湯山中温泉を目指してひた走るバスの車内に、社長のうなり声だけが、陰にこもって物凄く、花は散りても春に咲き、鳥はねぐらに帰れども、往きて還らぬ死出の旅、寂滅為楽と響くなり。

 そーか!
愛ゆえの音痴ではなかった!あれは愛妻音痴ではなかったのである!

 ポーランドの修道士メンデルによって暴露された恐るべき劣性遺伝の法則!その名もいまわしきデオキシリボ核酸の妖しく絡み合う二重螺旋によって親から子へと伝えられた音痴なのであった。

 すべての疑惑と当惑が科学的に解明され、晴れ晴れとした表情の乗客を乗せ、世界三大音痴夢の競演の舞台となった観光バスは、北陸の名湯山中温泉目指してひた走るのであった。

 「音痴治します」などと、軽々しく言うものではない。
この音痴を治すには、遺伝子工学が必要であると思う。