若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

唐招提寺うちわまき

毎年5月19日は唐招提寺の「うちわまき」である。

この日は唐招提寺中興の祖と言われる覚盛上人の命日で、「うちわまき」は上人の徳を偲んで鎌倉時代から行われてきた。

鎌倉時代には、親鸞などによる新仏教が広く受け入れられ、南都六宗は衰退の一途をたどった。
この「肉食妻帯」を公言する親鸞に対して、旧仏教側から戒律の重要性を訴えて立ち上がったのが、西大寺叡尊唐招提寺覚盛であった。
特に「不殺生戒」を重視する彼らの運動は、鎌倉幕府や地頭、公家層など新旧の支配者達には一定の支持を得たものの、漁業や狩猟にかかわらざるをえない民衆の反発を買うことにもなった。

覚盛は、不殺生戒を厳しく守り、蚊を殺さないことでは有名であった。
あまりに蚊を大事にするので、心無い僧侶は彼を「モスキート覚盛」と呼んで冷やかした。
彼はすぐれた学僧であり、声も良く容姿端麗であったことから、その読経は女性達に人気があった。

法華寺の尼僧妙信は、唐招提寺を訪れた時ふと見かけた覚盛に心を奪われた。
そして覚盛が、蚊を殺さないと言う話に心優しい彼女は感動した。
覚盛は蚊は打たなかったが女心を打ったのだ。

妙信はハート型のうちわを作って、「これで蚊を追ってください」と言う言葉とともに覚盛に送った。

取次ぎの僧から受け取った覚盛は顔色を変えた。

「汚らわしい!」
取次ぎの僧は驚いた。
「妙信様のお優しい心ではありませぬか」
「このハート型のうちわにこめられた意味が分からぬのか。『ウチはあなたをあおぎみています』というのじゃ。尼僧でありながら女の心が捨てられぬとは!」

覚盛は回廊に出てうちわを投げ捨てた。
その時境内にいた農民がこのうちわを拾って持ち帰ったところ、その年、その農民の田には虫の害がなかった。

このことが「覚盛上人様が蚊を追うのに使われたうちわが田の虫を追い払った」という噂になり、あっという間に日本国中に広まった。
農民達の切実な願いに、覚盛は全国の寺でうちわまきをする羽目になった。

疲れ果てた覚盛は、唐招提寺長老に訴えた。
「国々を回るのは勘弁してください」
「うむ、しかし、唐招提寺でだけは続けるのじゃ」
「そりゃまたどうして」
「うちわまきはうちわでな」
「ええかげんにしなさい!」
「ほんとにネッ!」