若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

仏壇

新聞の仏壇の広告。

我が家は「神道」なので、仏壇には縁がない。
といって私が「神棚」と特に縁が深いわけではない。

子供のころから、仏壇に比べて神棚は簡素のものだなと感じていた。
亡くなった伯母が住んでいた村は大きな農家が多く、仏壇に千万くらいかける家はざらだと言うことだった。
ウチのが簡素なだけで、豪華神棚もあるのかもしれないが。

岩倉具視一行が欧米を訪問した際、フランスのベルサイユ宮殿のキンキラキンの有様を見て、誰かが「門徒衆の仏壇のようだ」と言ったそうだ。

仏壇仏具会社の社長の講演を聞いたことがある。
一目見たとき、フランシスコ・ザビエルみたいな人だと思った。
頭の格好が似ているのだ。
講演のあとの懇親会でそう言ったら、イヤ、パウロ二世と言われてます、とのことであった。

講演会から何ヶ月か後、私は奈良市内のスナックで飲んでいた。
そこに、フランシスコ・パウロ・ザビエルが入ってきた。
数人の「高僧」たちといっしょだ。
高僧たちは楽しげに飲み始めたが、フランシスコ・パウロ・ザビエルさんは苦虫を噛み潰したような顔で飲んでいた。

「高僧」たちは、大きなお寺の「資材部長」とか「購買部長」なのだろう。
木魚か釣鐘をを値切られたのだろうと思った。

私が結婚して一月ほどして、家内の実家で法事があった。
おじいさんの何回忌かだった。

私がつくと、義母が、「先におまいりしてあげて」と言った。
仏壇の前に座った。
立派な仏壇であった。
私の斜め後ろに義母が座った。

仏壇に向かって手を合わせたとき、ムラムラ、メラメラ、ムクムクとやる気が沸き起こってきた。

そうだ!おじいさんに「般若心経」を唱えてあげよう!
私の自慢の「高僧」のような鍛え上げた「蝉声」で。

私は、天国のおじいさんに届けとばかり「高僧」のような声を張り上げた。

「か〜〜んじ〜〜ざ〜〜いぼ〜〜さ〜〜つ」

義母が身体を乗り出して、仏壇のカネをたたく棒を取った。
私の読経をサポートして、カネを「ち〜ん」と鳴らしてくれるのかと思ったら、私の頭をたたいた。

義母は、今にも怒り出しそうな笑い出しそうな顔で私をにらんでいた。
棒を持つ手が震えていた。
感動のあまり言葉が出ないようであった。