「華岡青洲の妻」で華岡青洲の母を演じる田中好子さんを見るためにギターの練習を中断してテレビの前に座った。
彼女の演技についてはなんとも言えない。
10分ほどで見るのをやめたからだ。
最初画面に現れたとき、彼女は私に向って、「これ、うそなんです」と語りかけた。
息子青洲の嫁取りに行って、医者の嫁としての心構えなどをとうとうと語る場面でも、彼女は顔で、「これ、セリフなんです」と言っていた。
私は、画面の彼女に、「どう見ても、幕末の紀州藩の田舎の貧乏医者の妻には見えませんね」と言った。
彼女は、「あら、あなたは幕末の紀州藩の田舎の貧乏医者の妻を見たことあるんですか」と反論した。
「幕末の紀州藩の田舎の貧乏医者の妻を見たことはありませんが、幕末の紀州藩の田舎の貧乏医者の妻なら、幕末の紀州藩の・・」
「やめなさい。ウケねらいでくどくなるのがあなたの悪いクセです」
「失礼しました。紀宮様からもそう言われたところです」
しかし、冒頭の手術場面は迫力があった。
世界初の全身麻酔による乳癌手術だ。
見守っていた弟子が叫ぶ。
「せ、先生!麻酔が切れかかっています!」
「なに!それはますい!」
「先生のしゃれの方がますいです。患者が笑っていますよ。さっきまで苦しんでいたのに」
「むむ!これだ!これからはダジャレ手術の時代だ!患者を笑わせて手術をするのだ!」
一念発起して大阪に遊学、吉本興業で修業を積んだ青洲は「ダジャレ医者」として有名になる。
その評判を聞いた紀州藩主徳川みかん之守に招かれ、拝謁を許される。
みかん之守の前に平伏した青洲は、おもむろに懐紙を取り出し、チーンと鼻をかんだ。
みかん之守が、「おお!華岡がはなをかんだ!」と言うと、家老が、「殿!お見事にござりまする。さすが神君家康公の血をおひきあそばされるお方!今のしゃれを聞いて、家康公も日光でにっこーにっこー!」
「じい!あっぱれじゃ!千石加増してつかわす」
次回からは、御典医となった青洲がますますダジャレに磨きをかける様子が克明に描かれる。
その青洲に協力して、妻と姑が患者の枕もとで、互いに笑いを取ろうとダジャレを連発する壮絶な女の戦いが繰り広げられる。
その後、青洲が、笑いこそ健康の元だと悟り、医者を辞めてメスを三味線に持ち替え、三人で「歌謡漫談華岡トリオ」を結成するまでを全六回で放映する。