若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

大津皇子

若草鹿之助商店おもしろくなさそうな本を読む事業部は、地道な営業活動を続けている。
多田一臣著『古代国家の文学:日本霊異記とその周辺』

目次を見ると、「『高橋氏文』成立の背景」とか、「夜刀神説話を読む」とか、聞いたことのないようなのが多い中に、「大津皇子物語をめぐって」というのがあったので、それをまず読む。
大津皇子の名前くらいは知っている。天武天皇の息子だったが、天皇没後謀反の疑いをかけられて殺された悲劇の主人公だ。

辞世の歌が有名だ。

ももづたふ磐余(いわれ)の池の鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

ところが、これは大津皇子が作ったのではなく、後の世の人の作だと書いてある。なぜそういうことがわかるのか。「ももづたふ」と「雲隠りなむ」という言葉を調べるとわかる。
そうですか、と言うほかない。

皇子の死を悲しんで姉の大伯皇女がよんだ歌も有名だ。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む

これも後の人が作ったという説があるらしい。大津皇子をめぐる物語が作られて、その中でこういう歌も作られたというのだ。皇女の作とされる歌は、個人として弟の死を悲しむだけの歌ではない。皇子の怨霊が恐れられたので、魂をしずめるための歌だそうだ。

大津皇子の怨霊は、かなり後まで活躍したようで、龍になって暴れまわるのを薬師寺のお坊さんがお祈りしてしずめている。昔はお姉さんの歌でしずめたのであるが、時代が進むと歌の効き目はなくなって、怨霊をしずめるのは仏教の役目になったようだ。
薬師寺は、天武天皇持統天皇勅願寺で、政争で命を奪われた皇子や皇女の魂をしずめる役割を受け持っていたそうだ。
もう出番はないと思いますが。

古代では個人の心情だけを歌った歌は存在しないと書いてある。共同体の心を歌うというのであろうか。そういう歌ははるか昔に消えてしまったと思うが、今なら、校歌や社歌かな。

「♪見よ東海の空高く
 輝く朝日の気高さよ
 世界に向けてはばたかん 
 ああ 我等が若草鹿之助商店」

校歌や社歌だけを集めた、「校歌社歌万葉集」があったら、後の世の人はなんと言うであろうか。