太平洋戦争中、一般国民の言動を取り締まる「特別高等警察」が集めた「不適切な言葉」は今読むと楽しい。
「口から出まかせ」の言葉が飛び交っている。
インターネットみたいだ。
もちろん、まっとうな言葉もある。
戦争が始まってすぐ、ある靴職人がつかまった。
彼は、日本のような小さな貧乏国がアメリカみたいな大きな金持ち国と戦争して勝てるものか、中国と五年戦争しても勝てないではないか、と言ったのだ。
常識的な人だ。
皇后が靖国神社に参拝したのを見て怒った人もつかまった。
皇后は洋装だったのだ。
大和魂大和魂といいながら、洋装とはなんだ!
負けてるではないか。
気持ちはわかるが、それを言い出せば明治維新のはじめから負けだ。
千石船で真珠湾はムリだ。
悩ましいところである。
戦争が長引くにつれ、国民の不満も複雑になる。
「特権階級」に対する恨みが高まる。
昭和19年、東洋曹達の社長が交代した。
辞めた社長が、「通信機を隠し持って敵潜水艦と交信していたため銃殺される」といううわさが流れた。
なぜこんなハデなうわさが流れたのだろうか。
○○部隊で行われる銃殺見物のための汽車の切符が売り出されるというので駅に集まった者203名。
部隊前に集まった者30名。
敗色濃厚な大変な時期に汽車に乗って「銃殺見物」とはヒマな人たちもいたものである。
ヒマな人たちでもあるし、恐い人たちでもある。
ワイドショウがない時代だからしかたがない。
戦時中にインターネットやワイドショウがあったらムチャクチャだったと思う。
なくてよかった。