『印象派の画家たちの私生活』という本を読んでます。
英語の本です。
先日、この本を読んでたら、「英語の本を読むなんてすごいですね」と言われました。
ぜんぜんすごくないです。
わたくし、英語でも日本語でも、ちゃんと読めてるかどうかあやしいもんなんです。
読むわたくしもあやしいもんですが、書く方だってあやしいもんですよ。
日本語にしろ英語にしろ、まともに書いてるのかどうかわかったもんじゃない。
気楽にいきましょう。
さて、この本の著者。
SUE ROEという女性です。
「スー・ロー」と読むんでしょうか。
あっけない名前ですね。
親の顔が見たい。
せめて、「スザンナ」とか「スーザン」とかつけてやったらいいのに。
それとも、「スー」って、何か由緒ある名前なんでしょうか。
本を開く以前、著者名の段階でつまづいてます。
この人がどういう人かぜんぜんわからないまま読んでます。
まあ、印象派の画家についてはいろいろ読んでるから、なんとかなるだろうという度胸の良さが頼りです。
この本に、ルノワールが銃殺されかかった話が出てくる。
ルノワールの息子の『わが父ルノワール』という本からの引用みたいです。
フランスがプロシアと戦争して負けたあと、パリに左翼勢力による「反政府自治区」みたいなのができた。
「パリコミューン」というんですね。
フランス人とプロシア人が殺しあった後、フランス人同士が殺しあうという悲惨な状況であった。
その大混乱の最中に、ルノワールは風景を描きに出る。
イーゼルを立てて描いてるところへコミューン軍がやってきて、ルノワールを政府軍のスパイとしてとらえ本部に連行して銃殺しようとする。
銃殺の直前、ルノワールは立派な軍服姿の男を見て驚く。
二、三年前、その男を助けたことがあるのだ。
フォンテンブローの森で絵を描いていたら、目の前のしげみから若い男が転がり出てきて、「反政府活動をして警察に追われてるんだ!助けてくれ!」と叫んだ。
ルノワールは、絵具の付いた上着と絵の道具をあたえて、絵描きのふりをしろと言って助けてやった。
その若い男が、今やパリコミューンの指導者の一人となっていたのだ。
ルノワールが必死で呼びかけると、若い男はすぐ気付いて、「この人は私の命の恩人だ!釈放しろ!」と命じた。
そしてバルコニーに連れて行くと、広場にはスパイの銃殺刑を見ようと群集が集まっていた。
若い男は、群衆に向かって、「ルノワールのために、マルセイエーズを歌ってくれ!」と叫んだ。
ルノワールは「ラ・マルセイエーズ」を歌う群衆に向かって手を振った。
そして、今後疑われることのないよう「通行許可証」を与えられて、ルノワールは自由に風景画を描くことができた。
さすがルノワール!
ドンパチやってるパリで命知らずにも風景写生とは、芸術家はちがいますね。
ドラマチックな話である、と感心しました。
感心しましたが、なんかこの話、どっかで読んだことがあるなあと気づいた。
『素顔の印象派』という本を引っ張り出す。
出てました。
ルノワールが死んで一年後に、友人のポール・ヴァレリーが語った思い出です。
かなりちがう話です。
ルノワールは、パリコミューン当時、自由に写生ができないので困っていた。
あるとき、写真館のショウウインドウをふと見ると、若い男の写真が、パリコミューンの指導者としてかざってあった。
二、三年前、フォンテンブローの森で写生していたとき出会った男だ。
絵を描くルノワールにやたらつきまとう。
そして、「反政府活動をしていて警察に追われてるんだが、なんとか逃げおおせる方法はないだろうか」と言うので、「このあたりで画家のふりをしてたら警察も気づかないだろう」と言ってやったら、「名案だ!」と喜んだ男だ。
ルノワールは、その男に頼んで「通行許可証」をもらおうとコミューン本部に行って、首尾よく面会、許可証を手に入れて自由に風景画を描くことができた。
どっちが本当なんでしょうか。
後の方が本当のように思います。
息子に語った話は、息子を喜ばせるために相当脚色したんじゃないでしょうか。
まあ、どっちでもいいけど。
英語でも日本語でも銃殺でも銃殺でなくてもどっちでもいいという気楽な読書である。