若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

熊野純彦『西洋哲学史:古代から中世へ』

いろんな本を読む。

かなり幅広く読んでいるほうだと思うが、学者でもなく、評論家でもないのだから、もちろん弱いというか苦手な分野もないことはない。

哲学は苦手な分野のひとつだ。
あと弱いといえば、遺伝工学、生命科学、宇宙物理学をはじめとする自然科学全般、法学関係も苦手といえば苦手で、歴史についてはこれから勉強しようと思っているのであるが、政治、経済、国際関係までは手が回らないし、文学も世界の名作などほとんど読んでいないし、美術、音楽は中学の教科書ていど、といって宗教関係にはおいそれと手を出せないし、スポーツはまったくダメで、芸能、マスコミ、金融、住宅関係もくわしくないし、農業漁業など第一次産業についてはほとんど知らないし、第二次産業第三次産業はあまり知らないし、占星術四柱推命細木数子、血液型関連にはまったく興味がない。

このあたりが私の弱点といえる。

その、数少ない私の弱点のうち、哲学分野を強化しようと思ってこの本を買った。

第一章「哲学の始原へ」

「高台にのぼれば、視界の全面に海原がひろがる。空の蒼さを映して、水はどこまでも青く・・・」

「哲学の祖」と呼ばれるタレスを生み出したギリシャの風景である。
哲学的というより文学的な描写だ。

「空は蒼く」「水は青い」。
こういう書き方気に入らんね。

空のあおさと水のあおさはちがうというのであろう。
それはよろしい。
絵を描くなら非常に苦心するところだ。
空をなんとか蒼く描きたい、水はどうしても青く描きたい。
何本もチューブをしぼりだす。

文字で書くとえらく簡単ではないか。
「蒼い」と「青い」はどうちがうのか。
「蒼い」ほうがえらそうである。

ワイルドワンズの名曲「想い出の渚」。
「思いでの渚」ではない。
「想い出」のほうがえらいのだ。

演歌の作詞家の発想である。

一行目からこれでは先が思いやられるなと思って、あとのほうをぱらぱら見たら、「あらぬものはあるにおとらずある」「不動の動者」「神はその卓越性のゆえに無と呼ばれる」などの見出しが目に入った。

こういう人にいちゃもんをつけたら完全に言い負かされると思うので、「空の蒼さ」と「水の青さ」については好きなようにしてもらって結構です。