単純明快な肯定的メッセージである。
気持ちのいい言葉だ。
しかし、この言葉はどこで使うのか。
誰に使うのか。
この年になるまで、周囲にそんなイメージの人はいなかった。
「日本昔話」の世界で使う言葉だろうか。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
村では狸や狐が悪さをするし、山には天狗も住んでいる。
鬼が島の鬼たちも、時々暴れて村人を困らせる。
でもだいじょうぶ、気はやさしくて力持ち、太郎がいるから安心じゃ。
現実世界で、気はやさしくて力持ちというと、なんと言っても大関魁皇でしょう。
魁皇のためにあるような言葉ですよ。
例えば、道でふんどし姿の朝青龍とすれちがうとする。
ちょっと恐いと思う。
テレビで朝青龍の土俵を見ている限り、ちょっと恐い。
すれちがう時、魔が差したというか、ふとした出来心で、私が朝青龍に対して攻撃を仕掛けるとする。
攻撃と言っても私のことだから、なぐるとかけるとかではない。
つねるぐらいだ。
朝青龍のわき腹をつねって一目散に逃げる。
私につねられたって痛くもかゆくもないですよ。
痛くもかゆくもないのに、朝青龍はかっとして猛然と追っかけてくる。
私はぶちのめされる。
魁皇はちがう。
ふんどし姿の魁皇とすれちがうのは恐くない。
すれちがいざま、魁皇の太鼓腹をつねったとする。
まあ、あの太鼓腹をつねることが出来るかどうか、それが問題だが、一応がんばってつねれたとする。
つねって一目散に走って逃げる。
痛くもかゆくもないので、魁皇は知らん顔だ。
それではというので、後戻りして、魁皇の太鼓腹を思いっきりパッチーン!とたたいて一目散に逃げたとする。
少しは痛いはずだ。
しかし、魁皇にとってはなんでもない。
走って逃げる私の後姿をながめて、おかしな男だなというように少し笑うだけだ。
こんな魁皇が私は好きだ。
来場所も皆で応援しましょう。