若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『讃岐典侍日記』

以前、『讃岐典侍日記』について書きました。
読まずに書いたのでこのたび読んでみました。

29歳で亡くなった堀河帝に8年間そば近くで仕えたほぼ同年代の作者が思い出をつづったもので、最後の一月のできごとが中心になっている。

冒頭、「五月の空も曇らはしく田子の裳裾も干しわぶらんもことわりと見えさらぬだにものむつかしきころしも」と、断ち切ろうとして断ち切れぬ帝への追慕の情そのままに切れ目なく続く文章が、『讃岐典侍日記』全体を貫く文体的特徴となっていることなど私に読み取れるわけがないので森本元子さんの現代語訳が頼りだ。

読むと、作者は「そば近くで仕えた」という程度の人ではありませんね。

帝が女房たちに「扇引き」というゲームをさせたときのことだ。
いろんな扇が並べてあって、くじで引き当てた扇の絵にちなんだ歌を詠むというなんとも優雅なゲームだ。

讃岐典侍は狙っていた美しい絵の扇が外れて一番ぱっとしないのが当たってしまった。
がっくりきた彼女は、手にしたその扇をポーンと帝の前に放り出した。

帝は、「なんちゅうことするねんな」と笑う。
見ていた但馬という女房も、「身内同然ですね。私らにはとてもマネできませんワ」と、改めて讃岐典侍に脱帽の態だ。

それほど心を許しあっていた。
それにしても讃岐典侍は「媚態」の示し方がうまい。
堀河帝のツボを心得ていたんですな。

もともと身体の弱かった堀河帝が嘉承2年(1107)発病し、一月後に帰らぬ人となる。
体調を崩した日のことから書いてある。

「六月二十日のことぞかし」

どきっとする。
私の誕生日だ。
関係ないけど、どきっとする。

死の不安に帝は駄々をこねて女房たちを困らせる。
一睡もせずに見守る女房たちの姿も帝の目にはよそよそしいものに映ったようだ。
苦しさのあまりか讃岐典侍に足を預けるような格好で訴える。

天皇である私が死にかかってるというのに、よくもああ知らん顔でいられるもんだ。どう思う?」

帝の乳母、大弐の三位にも容赦なくつっかかる。

「なんだ、気楽な顔して。私が今日明日にでも死のうかというのに」
「き、気楽な顔など、とんでもございません」
「いや、いま、気楽そうな顔しとったやないか!」

死に直面しておののく堀河帝、その堀河帝を見つめる讃岐典侍
切ない場面です。