若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『讃岐典侍日記』2:さぬきのすけにっき2

堀河天皇は6月20日に体調を崩し、7月19日に死んでしまう。

その間、頼りはお坊さんだけだ。
医師、薬師、鍼灸師などは登場しない。

現代でも医者に命を預けるが、一応お寺や神社にお願いもする。
当時のことだから一番頼りになるのはお坊さんだっただろうが、ダメモトで医師を呼んでみろということにはならなかったのだろうか。

天皇が重態だというのに宮内省典薬寮にまったくお声がかからないでは立場がないように思う。

呼び集められた高僧たちが熱心に読経するが、帝は「もう役に立つまい」ともらす。
いくら偉いお坊さんが集まっても死ぬときは死ぬということはいやというほど経験しているはずだ。

7月17日、僧正が一心に読経する様子を見て帝が讃岐典侍に言う。
「いよいよ最期だと思うよ」
「どうしてまた」
「僧正が、頭から黒けむりを立てて祈ってくれているが、一向効き目がないもの」

「頭から黒けむり」という表現、インパクトがありますね。

定海阿闍梨が呼ばれて法華経を唱えていたら、「衆中之糟糠仏威徳故去」のところから、帝が声を合わせて唱えた。

お経のことをよく知ってたんですなー。
危篤状態で、そんな難しい文句がすらっと出てくるのがすごいと感心した。
それをおぼえてて、すらっと書く讃岐典侍もすごい。

私は素直にすごいと思うけど、讃岐典侍は、「この日記を読んで、女房のクセに小難しいこと書くやつだ、と悪口を言う人があるかもしれない」と心配している。

帝は定海に、「観音品」を読んでくれ、とリクエストもしている。

そして真打登場。
76歳の増誉僧正だ。

今なら「院長執刀」というところですね。

でも、ダメなものはダメなのであった。

このとき帝の枕元に詰めたのは僧正と十二人の仲間たちじゃなかった、高僧たち。
祈祷の声で何も聞こえないほどであった。

帝の命を何とか救いたいというこのとき、僧正と十二人。
で、帝の四十九日と一周忌の法要には高僧七人と伴僧百人というんですが、これは?

一周忌に百人なら、生きている間に千人と思いますが。
まあ、各寺院で何千人が読経してたんでしょうな。

というか、お坊さんは死んでからの方が得意なのか。
瀕死の病人を前にしては、困惑気味であったお坊さんが、一周忌ともなると水を得た魚のように、って罰当たりなこと書くのはやめよう。