若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

瀬戸口明久『害虫の誕生:虫から見た日本史』

小学何年生のときだったか「害鳥と益鳥」というのを習った。

スズメは稲を食べるので害鳥、ツバメは虫を食べるので益鳥。

鳥をそういう風に分けるのはすごいアイデアだと感心したが、うさんくさい分け方だとも、うっすら感じました。

日本の辞書に「害虫」という言葉が現れるのは20世紀に入ってからだそうです。
古代以来、日本の農民にとって「虫」は自然にわいてくるもので、人間の力ではどうすることもできない「天災」みたいなものだった。
神様仏様に祈るしかない。

そうではなくて、卵や幼虫を駆除すれば作物の被害を防げるのだといっても理解しない。
明治政府は「害虫防除令」みたいなのを出して農民達に害虫駆除を強制したが、そんな無駄なことをさせられてはたまらんと怒った農民達は各地で暴動を起こした。
激しいときは年に六千人もの逮捕者を出したそうだ。

この種の話を読むと、いつも、「私も、暴動に参加して逮捕される無知な農民だっただろうな」と思う。
早く生まれたばかりに私の身代わりになって逮捕された人たちに同情する。

「頑迷な大人」を教育するより、子供の方が手っ取り早い。
小学生に「害虫捕獲競争」をさせた。
これが過熱して、大正時代には賞金まで出すようになった。
教育上よろしくないので賞金はダメという通達が出た。

明治政府は「無知な農民」を細かく指導している。
「正条植え」を奨励している。
田植えのとき、縦横一直線になるように植えなさいというのだ。

昔は、無茶苦茶に、植えたい放題に植えてたんでしょうか。
稲は大昔からきれいに整列して植えられてるものだと思ってましたが。

伝染病についても、「無知な農民達」は政府と対立した。
明治時代のコレラ大流行に、政府は患者の隔離や消毒で対処しようとしたが、農民達はわら人形をかついで笛や太鼓で村はずれまで送り出したりするレベルだった。

ある村では、人々が「コレラを送れ!隣村に送れ!」と叫びながら村内を練り歩いたそうだ。

この種の話を読むと、いつも、「私も・・・」、う〜ん、「コレラを送れ!隣村に送れ!」か・・・これは、いくらなんでも情けないな〜。

私がいかに無知で自己中とはいえ、そんな浅ましいことを叫んで村内を練り歩くことはしないと思う。

するかな。
ちょっと考えさせてください。