きのう、主権回復記念式典がおこなわれました。
「主権回復」と聞いたとき、意表をつかれた気がしました。
そんなこと意識してる人がいたのか。
自慢じゃないが、私は小学生の頃から意識してました。
6年生の社会科の試験問題に、「第二次大戦後独立した国の名を挙げなさい」というのがあったんです。
私は、いくつかの国の名前といっしょに、「日本」と書きました。
「日本」だけペケでした。
先生に聞きに行ったら、勤続三十年だったかの表彰を受けたベテランの女性の先生が、困ったような顔をして、「う〜ん・・・日本は・・・ちがいますね」と言いました。
私は、「独立」と「主権回復」をごっちゃにしてたということでしょうね。
「主権回復」と聞いてもうひとつ思い出したのは、伯母の日記です。
「ある職業婦人の日記」、昭和20年9月2日。
「ミゾーリ号で降伏文書調印。9月2日を忘れるな」
「屈辱の日」という雰囲気です。
伯母は、まったく政治的な人じゃなかったから、世の中がそういう空気だったんじゃないでしょうか。
「屈辱の日」も「主権回復の日」も忘れてたんですね。
今回、ふと、「なぜミゾーリ号だったのか?」という疑問が浮かびました。
当時、アメリカを代表する軍艦だったのだろうか。
ちがいました。
時の大統領トルーマンが、ミゾーリ州の出身だという理由で選ばれたそうです。
トルーマンが上院議員の時にできた船で、娘さんが進水式に出席したそうです。
なんとなく楽しい話である。
いや、降伏文書調印じゃないですよ。
そんな理由で選ばれたというのが楽しいと思いました。