油絵を描いてます、というと、「高尚な趣味ですねえ」と言われることがあります。
高尚かどうか知らんけど、いい趣味とは言えないと思います。
服や部屋は汚れるし、キャンバスはかさばるし。
まあ、どんな趣味もみんな、いい趣味とは言えない。
はた迷惑なことが多いと思います。
下手の横好き、というんですが、好きなのかどうかも疑問です。
カルチャーセンターに通ってた時、女性たちが、家では描かないといったので驚きました。
公募展に、大作を毎年出してるような人でも、展覧会の前だけ描くというんです。
好きといえるんでしょうか。
私が、絵が好きだったかどうかも、よくわかりません。
小学校や中学校で、とくにほめられたことはない。
でも、高校の美術部に入った。
周囲が熱心に描くので、熱心に描くようになった。
大学の美術部に入ったら、みんなあまり熱心ではなかったので、私も熱心でなくなった。
そんな程度です。
何年か前、大学の美術部の後輩に会いました。
彼も熱心じゃなかった。
彼は、そのころ、何か趣味を見つけなければと思って焦ってたそうです。
で、「あ!オレ、大学の時美術部だったんだ!」と思いだして、絵を再開したんだそうです。
いい話です。
私もそれに近いかな。
↓ゆうちゃんがモデルです。
写真を見て描きました。
写真は、雨の日で、ゆうちゃんは幼稚園の門の前で、傘をさしてます。
傘をさしてサッカーボールを持ってるのは絵にならないので、傘はやめ。
びちゃびちゃのアスファルトも、幼稚園の門もパッとしないので、これもやめて、緑の芝生にする。
緑の芝生になるかどうか、問題であった。
緑の絵の具を、私の魔力で緑の芝生にして見せられたらいいんですが、そんな力はない。
見る人の善意に頼るほかない。
「男の子がサッカーボールを持ってて、下が緑ということは、芝生なんだろう」
まあ、絵というものは、人の善意というか錯覚というか、そういうものに頼るものだといえるかもしれない。
人の善意はあてにできないが、自分の善意は頼りになります。
何度も見てるうちに、緑の絵の具が芝生に見えてくるから、自分というのはありがたいもんです。
ゆうちゃんがはいてる靴は、私の善意を総動員しても、うまく描けてるとはいえない。
サッカーボールもイマイチである。
顔も、もうちょっとなんとかしたい。
ユニホームも髪の毛も、なんとかならんのか。
気にしだすと、いいとこなしである。
ところが、額に入れて自分の絵を見る時、私は、頭のてっぺんからつま先まで、善意のかたまりに変身する。
細かいことは言いなさんな、と自分に言い聞かせる。
仕事ではこうはいかん。
趣味というのは困ったもんです。