『提督たち』という本を読んでます。
アメリカ海軍の話。
海軍士官学校を出た若者たちが激しい出世競争を勝ち抜いてえらくなっていく。
えらいと言ってもいろいろあるけど、「武人」として誰もが目指すのは「太平洋艦隊司令長官」だった。
当時アメリカ海軍には大西洋艦隊、アジア艦隊など14の艦隊があったけど太平洋艦隊が輝く星だった。
1941年1月、ハズバンド・キンメル少将が太平洋艦隊司令長官に任命されたとき、ライバルたちがくやしがった。
その年の12月真珠湾攻撃。
キンメルは十日後に解任され、二か月後には退職に追い込まれた。
調査委員会の結論はキンメルたちの職務怠慢であった。
屈辱の人生を送り、家族の運動の結果1995年、議会で名誉回復決議がなされたにもかかわらずクリントン大統領が署名を拒否、ブッシュ大統領以後も署名しないままということになろうとは想像さえできなかった。
太平洋艦隊司令長官に抜擢されたキンメルは運が悪かったし外れた人は運がよかったというほかない。
キンメルの後任として太平洋艦隊司令長官に任命されたのがチェスター・ニミッツ。
海軍長官から任命を言い渡されたニミッツは複雑な思いで帰宅して妻に告げた。
奥さんはぱっと顔を輝かせた。
「おめでとう!あなたの長年の夢がやっとかなったのね!太平洋艦隊司令長官!」
「あのね~、太平洋艦隊は海の底なんだよ」
ハワイへ出発するまでニミッツは無茶苦茶忙しかった。
ワシントンでの仕事の引継ぎがあるし、ハワイはどうなっているのかどうすべきかてんてこまいの忙しさだった。
出発直前のくそ忙しい12月19日、ニミッツと奥さんは娘の学校のクリスマス会に出席してる。
「真珠湾とクリスマス会とどっちが大事やね~ん!」と誰か言わなかったんでしょうか。
ワシントンからハワイへ向けて出発。
飛行機だと思いますよね。
ちがいます。
まず大陸横断鉄道でロサンゼルスへ。
なぜか。
ニミッツが「考える時間がほしかった」。
おつきの武官は海軍省から大量の書類を渡されていた。
ただし、列車がシカゴを出るまでニミッツに渡してはならない。
なぜか。
しばらくゆっくりさせてやりたい。
12月24日、飛行艇でロサンゼルスからハワイへ飛び立った。
ニミッツは乗組員に申し訳ないと思った
「クリスマスなのに家族と一緒にいられないなんて」
余裕を感じさせるような出発までの情景ですが・・・。