若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ロシア皇帝ニコライ二世の電報

中村健之介編訳『ニコライの日記』を読み終わりました。

本を読むのは楽しい。
百年以上前の人の生き生きした姿に接して好きになってしまうというのはうれしい経験です。

ロシア正教を広めるために、ロシアの神学校を出てすぐに幕末の日本へやってきて、以後五十年、日本で亡くなるまで生涯を宣教に捧げた人です。
1906年にはロシア正教会から大主教に任じられ、「ニコライ・ヤポンスキー(日本のニコライ)」という名前を与えられてます。
1970年には、ロシア正教会から聖人に列せられ、「聖・日本のニコライ」と呼ばれるようになったそうです。

こう書くと、信仰一筋のガチガチの怖い人みたいな気がしますが、そうじゃないんです。

内剛外柔というんでしょうか、信仰一筋だけど、知的で合理的で常識的で、まあ、大きな人なんですね。
付き合いは非常に広いです。
伊藤博文副島種臣などのえらい人から、商売敵(?)のカトリックプロテスタントの宣教師まで、多彩な人脈です。

日露戦争の前ですが、ロシアの軍人との会話が記録されてます。
その軍人が、ロシアは近代化で日本に後れを取ったと嘆いたとき、ニコライは、「日本は、ロシアとちがって千数百年の歴史を持つ古い国です。ロシアは、後れを取ったんじゃなくて、ずっと追いつけてないだけです」とたしなめてます。
クールですね。

別のロシア軍人が、朝鮮を併合しなければならないと主張したときは、「古い歴史を持つ千数百万の国民の独立をそう簡単に奪っていいものでしょうか」と疑問をぶつけてます。

こういう、良識的で、政治にはかかわらない主義のニコライですが、日露戦争の時期はつらかったようです。
新聞などで、「ロシアのスパイの首領」と書かれたり、いわれのない非難を浴びたりしてます。
ロシア公使からは帰国をすすめられますが、教会のために日本にとどまることを決意します。

ただ、この時期の日本は、近代的文明国であることを世界にアピールしたかったのでしょう。
ロシア人捕虜を優遇したことは有名ですが、「ロシア人の安全保障」にも大変気を使ってます。
当時の日本人からはロシア正教は目の敵にされたようですが、厳重な警戒のおかげでニコライたちに危害が及ぶことはなく、その点感謝してます。

さて、日本海海戦
負けて捕虜になったロシアバルチック艦隊司令長官ロジェストヴェンスキーのもとに、皇帝ニコライ二世から電報が届きます。

「ロヂェストヴェンスキー提督!朕は汝と全階級の兵に謝す。汝らは戦闘においてその義務を遂行せり。汝らがよく自己犠牲を以って朕とロシアのために仕えたることを謝す。汝らの献身的奮励が勝利を以って報いらるべき定めにあらざりしは神の御心なり。然れども汝らの一身をなげうっての勇気は祖国の永遠に誇りとするところなり。汝らの一刻も早い回復を願う。神が汝ら全員を慰め給わんことを。ニコライ」

読んだニコライが立派なものだと感心してますが、ホント、行き届いてますね。
そんな電報打つよりもロシアの近代化を、という話はともかく、こういう電報は誰が考えるんでしょうか。

専制君主用電報文例集」みたいなのがあるんでしょうか。
ぼろ負けに負けて捕虜になった将軍や提督にはこれ、というような。

この電報にまつわる話を知りたいと思いました。