今年の歌会始、御題は「幸」
御製
人々の幸願いつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ
皇后陛下御歌
幸くませ真幸きくませと人びとの声渡りゆく御幸の町に
この皇后の歌をはじめてみたとき、なんとなく違和感を感じた。
天皇や皇后は「国民を思う」というような歌を詠むものだという思い込みがあるからだろう。
そういう意味で、天皇の歌は完璧である。
こういう歌は天皇にしか詠めない。
他の誰が詠んでもおかしい。
高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎわいにけり
これが仁徳天皇の歌とされるのも、天皇はこういう歌を詠んでほしい、詠むべきだという期待があったからだろう。
明治天皇は、そういう期待に応え、自らの役割を自覚してたくさん歌を詠んだ。
暑しとも言われざりけり煮えかえる水田にたてるしずを思えば
「しず」がひっかかるが、まあ「国民を思いやっている君主の歌」だ。
四方の海皆はらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ
これは「歌」であって、施政方針演説ではないから、では、平和的解決のためモスクワに飛んでニコライ二世と会談を、と言うようなものではない。
これも天皇にしか詠めない歌だ。
外務大臣や海軍大臣が詠んだら、何を呑気な、と言われるであろう。
同じく日露戦争に際して詠んだ
国がため仇なす敵はくだくともいつくしむべきことな忘れそ
これは「ロシア兵を撃滅せよ。しかし(捕虜となった者には)慈悲の心を忘れるな」と言う意味だろう。
この歌を聞いたトルストイは、「矛盾しているではないか」と言ったそうだが、省略されていると思われるカッコ内を補えば、一等国を目指す君主の歌としては問題ないと思う。
で、今年の皇后の歌である。
天皇の歌と対になって、「天皇は国民の幸福を願って全国を回り、国民は行く先々で天皇の幸福を願った。めでたしめでたし」、なのか。
私としては物足らない。
随行する宮廷歌人が詠んだというならいいと思うが。
皇后は過去に、移民として海外に渡った老人達や、沖縄戦で戦死した若者達を思う歌を詠んでいる。
「国母」という立場にふさわしい歌だ。
今年の歌は、「国民を思う」というより、「夫を思う」というような感じがするように思う。
それはそれでいいんですが。