若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『リオ・ブラボー』さわやかな人殺し

人を殺すのは、映画のなかでは実に簡単で手軽なことです。

それはわかってるんですが、トシのせいか映画と思っても人殺しがイヤになってきてます。

 

録画してあった西部劇『リオ・ブラボー』を見ました。

西部劇は見ないと誓ったのに見ました、というか5分ほど見ました。

 

西部劇とはなにか。

よくわからんけど、「風景映画」であることはたしかです。

アメリカ西部の風景を楽しめる。

それだけならいいんですが、それでは「劇」がないから「西部劇」じゃない。

「西部風景」に「劇」をくっつければいいんだけど、「劇」じゃなくて「人殺し」をくっつけるので困ります。

ただの「人殺し」じゃないです。

「簡単撃ち殺し」です。

 

リオ・ブラボー』は簡単すぎます。

もちろん西部劇ですからそのうち誰かが誰かを撃ち殺すとは思ってましたが、前触れもお断りもなく、始まるとすぐ、白昼堂々衆人環視、理由もクソもなく実にあっさりとあっけなく陽気に撃ち殺した。

撃ち殺した男の落ち着き方は、わたくし、食後には胃薬を飲む代わりに撃ち殺してるんですと言わんばかりであった。

 

そこでやめようかと思ったんですが、ジョン・ウエインが登場しました。

お、ジョン・ウエインならなんとかしてくれるのじゃないかと思って見てたら、一発で殴り倒されちゃった。

ジョン・ウエインが一発で殴り倒されるようでは神も仏もない、世も末だと思ってそこでやめました。

 

ゴッドファーザー』を見た後で『リオ・ブラボー』を見たんですが、『リオ・ブラボー』の簡単人殺しのほうが好感持てますね。

ほとんど「さわやかな人殺し」と言ってもいい。

ゴッドファーザー』も殺しまくりですが、えげつないです。

こういうのをカネ払って見るというのはアタマおかしんじゃないかと思いますが。

 

 

 

 

 

地名

ディアドラ・マスクさんの『住所録』を読んでるとこですが、「住所」だけでよくこれだけ書けるもんだと感心します。

 

地名変更というのは日本でも問題になりますね。

古くからの地名を、簡単で便利でわかりやすいのに変える。

「由緒ある地名を守れ!」という運動がおこる。

 

イギリスにはとんでもなくお下品な地名があるようです。

ちょっと書けないような地名。

外国人にはなんで下品かわからないようなのもある。

「BELL END」という地名がある。

著者のディアドラ・マスクさんはアメリカ人なので「BELL END」の何がいけないのかわからない。

エレガントな響きでいいじゃないの、と思ってた。

ところが、「BELL END」は「おちんちんのさきっちょ」という意味で使われてるんだそうです。

で、「BELL END」の住民が地名変更の請願を起こした。

この地名のせいで子供たちが学校でいじめられると言うんです。

これに対して猛烈な反対運動がおこった。

「地名に罪はない、悪いのはいじめる方だ」

なるほどね。

 

アメリカの通りには名前がついてる。

人の名前とか木や花の名前も多いけど一番多いのは番号。

「フィフスアベニュー」とかいうやつです。

さて、番号の付いた「ストリート」で一番多い番号はなんでしょう?

セカンドストリート」だそうです。

セカンドストリート」の前に「ファーストストリート」があるじゃないかと思うのは素人の浅はかさです。

「ファーストストリート」には強力なライバルがあるんです。

「メインストリート」

なるほどね。

 

番号もただつければいいというもんじゃない。

初めは順序正しくつけていく。

何年もたつとくずれてくる。

「1番地」と「2番地」の間の空き地に家が建って「1954番地」というような困ったことになることがある。

 

イギリスの郵便制度を確立したローランド・ヒルが、ロンドンの町に自分がつけた番地を確認しながら歩いてた。

家々の入り口に打ち付けられた銅板の番号を見ながら満足げに歩いてたローランド・ヒルがある家の前であっと叫んだ。

「14番地」と「16番地」の間のその家に、なんと「95番地」の銅板が!

これは一体どういうことかとその家のドアをたたくと奥さんが出てきた。

「奥さん、ここは15番地のはずですが」

「いえ、ウチは95番地です」

「いや、奥さん、ここは15番地なんですよ」

「ここはどうか知りませんが、ウチは95番地に間違いありません。ウチは先月引っ越してきたんですが、ちゃんと住所の銅板を持ってきたんですから」

「い、いや、奥さん、そういうことじゃなくて・・・」

イギリス郵便制度の父ローランド・ヒルも大変困ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

コロナの気持ち

コロナウイルスは人間を襲ったんでしょうか。

襲う気はなかったと思います。

コロナの代表に聞いてみないとわからないけど、まあ悪気はなかったんじゃないか。

人間がコロナをつついたという感じだと思うんですが。

 

山で毒キノコをとってきて食べて死んでしまうのと同じ。

毒キノコの場合食べた人が死ぬだけだからいい。

いや、よくないけど被害は少ない。

コロナの場合うつるから悪い。

しかし、コロナがうつると言えるのか。

コロナが、飛び移ってやろうとねらってるのか。

コロナの代表に聞いてみないとわからないけど、それほどの積極性があるとは思えない。

 

結局人間が悪かったのじゃないか。

コロナはそっとしておいてほしかった。

地球の片隅で静かに暮らしてるだけで満足していた。

なぜこんな大騒ぎになって悪者にされて憎まれるのか困惑してるんじゃなかろうか。

コロナにとっては人間があっけなく死ぬのも予想外だったのじゃないか。

こんなことになるなんてと落ち込んでるかもしれない。

落ち込んで元気がなくなるのを願うしかない。

 

 

 

 

 

 

DEAD LETTER OFFICE

『住所録』という本を読んでますが、楽しい。

日本の郵便制度と言うと前島密がイギリスから導入したということを知ってるくらいです。

イギリスで始めたのはローランド・ヒルという人だそうです。

イギリスでは17世紀から国営の郵便制度があって、えらい人はタダで利用できたけど一般人は料金が無茶苦茶高かった。

無茶苦茶高いうえ受取人払いだった。

で、郵便配達が来ると逃げ出す人もいた。

ローランド・ヒルは、こんなことではだめだ!と思った。

国民が気軽に手紙を書けるようになることは、精神的知的進歩に役立ち文明発展の原動力である!と訴えた。

1830年代のことです。

産業革命が進んで少年少女たちが親元を遠く離れた工場で働くようになった。

親と子が手紙で心を通わせることができるような料金にしなければならない!

親と子の会話に税金をかけるようなことをしてはならない!

 

郵便制度って飛脚の改良版くらいに思ってましたが、そういう気高い思想の裏付けがあったんですね。

 

郵便利用が進むにつれて住居表示の改良が必要になった。

当時のロンドンはどんどん拡大していて、住宅地を開発した業者が街の通りにお手軽に奥さんや子供の名前を付けることが多かった。

「メアリーストリート」が何十もあったし「エリザベスストリート」も何十もあった。

考えるのが邪魔くさいから「キングスストリート」が何十「クイーンズストリート」が何十というありさまで郵便屋さん泣かせだった。

 

住居表示改良は第二次大戦ドイツ軍の空襲の最中も続いたそうです。

空襲で町が破壊されるは住居表示は変わるはでどこがどこだか訳が分からなくなったそうです。

 

宛先不明、差出人不明の手紙を「DEAD LETTER」と言うんですね。

成仏せずにさまよってる。

満中陰前の手紙。

ちがうか。

 

こういう手紙を集めてなんとかして宛先に届けるか差出人に戻そうというのが「DEAD LETTER OFFICE」という部署です。

 

世の中おかしな人がいるもんで、この「DEAD LETTER OFFICE」を相手に遊ぶ人があるんです。

わざとややこしい書き方をして届くかどうか楽しむ。

暗号みたいにしたり絵文字にしたり「色覚検査図」みたいにしたりして「DEAD LETTER OFFICE」に挑戦する。

挑戦された方も張り切って取り組んで、謎を解いて届ける。

なんとか解読して届いた封筒に「ロンドン郵便局が解読しました!」と書いてあったりしたそうです。

 

封筒でわからないと開封して中を調べる。

小包は開封が怖いそうです。

開けたらガラガラヘビがにょろにょろということがあったそうです。

DEAD LETTERがDEAD MANではしゃれになりませんよ。

 

 

 

 

コロナ自粛

コロナウイルスで気分的にぱっとしませんね。

ウチの孫たちが来ても家に入らず庭で会う。

お隣の孫なんか他府県だから、ゴールデンウイーク中何度かそっと来てそっと帰ってる。

人目をはばかるというか人目をしのぶというか微妙な雰囲気。

「夜霧のしのび逢い」ならぬ「コロナのしのび逢い」という感じです。

 

なんかスカッとすることないかなと考えてたんですが、そうだ!M君に電話しようと思いつきました。

M君の気楽な声を聞いたら気も晴れるというもんです。

知り合って50年、私の知る中で一番気楽な人です。

肩書は陶芸家ですが、私の中では「気楽な人」で通ってます。

陶芸と言えば土と炎ですが土も炎も感じない。

20時間ほど前に火が消えてかすかに温かみの残る陶芸の窯という感じがすると言えばちょっとほめ過ぎかな。

この50年、彼にも人なみにいろんなことがありましたが人なみ外れて気楽。

そう言われたらふつうはイヤな顔すると思うけどうれしそうな顔をするところがニクイ。

 

で、電話をしてみたんですが、いくら気楽なM君とは言えこのコロナ騒ぎは少しはこたえてるんじゃないかという私のかすかな懸念を吹き飛ばすようないつにも増して気楽そうな「ごぶさたです~!」という明るい声を聞いて、この男ひょっとしてコロナを知らないんじゃないかと一瞬心配しましたが、一応知ってたみたい。

 

個展やデパートでのイベントが中止になったと明るく語った。

で、ヒマを持て余してるので大阪に出てきませんかと言うのできっぱり断ったら奈良に行くというのでこれもきっぱり断りました。

未練がましく「奈良で二人でドライブしながらしゃべりましょう」と言うんです。

いらんわ。

時節柄あまり気楽なのも考えもんです。

 

 

 

 

 

住所と感染症

ディアドラ・マスク著『住所録』という本を読み始めたところです。

郵便屋さんが「住所」を必要とすることはわかります。

世界銀行が、「貧困から抜け出すために『住所』が必要」というのはわかりにくいなあと思ってたら、続けて「感染症」が出てきたのにびっくりしました。

 

感染症にも住所が必要。

ウイルスが住所録を頼りに伝染、ということではありません。

感染症でパタパタ死んでいってもその人の住所がわからなければ原因がわからないと言うんです。

19世紀半ば、ロンドンでコレラが大流行した。

当時これらの原因は悪臭だということになっていた。

コレラの犠牲者は貧しい人が多かったけど、それは貧民の生活レベルが低いからだとされていた。

 

ロンドンのジョン・スノウというお医者さんが、死んだ人の住所を頼りに地図に書き入れて行ったところ、コレラによる死者が集中している地域があることがわかった。

その地域には市民が飲む水のポンプがあったので、ジョン・スノウは飲料水の汚染がコレラの原因ではないかと考えた。

そのころ「戸籍制度」が整いつつあって、病死を「死亡届」プラス「住所」でとらえる医者も出てきた。

これが「感染症学」の基礎になる考え方で、ジョン・スノウは「感染症学の父」と言われているそうです。

 

エボラ出血熱でもコロナでも、感染症対策はとにかく「どこで発生してどう伝わっているのか」を特定することからはじまる。

感染症の基本は住所と地図。

世界のどこかで伝染病が発生して駆けつけた医師団が最初にやることは付近の地図の作成だそうです。

「グーグルマップがあるじゃないか」と思うんですが、そう簡単な話じゃないみたいです。

グーグルに任せてはダメだ!という人たちが「オープンストリートマップ」とか「ミッシングマップ」とかいう運動(?)をしていて、世界中のボランティアの力で自分たちの地図を作ろうとしてるようです。

私にはよくわからん話ですが大事なことのように思います。

 

『住所録』という本に感染症が出てくるとは思いませんでした。

「住所」は思ってたより深く重いようです。

 

 

 

 

 

 

大仏屋敷

きのう「住所のない家」について書いてて伯父の家を思い出しました。

伯母(父の姉)の夫で、子供心に「かわったおじさん」と思ってました。

「世捨て人」とか「脱俗の人」という言葉を知らなかったので「かわったおじさん」と思ってたんです。

「絵描きさん」ということでした。

戦前、中学で絵を教えながら二科会会員として絵を描いてたみたいです。

戦後は「旧二科会員」を名乗ってました。

戦後の二科会を認めてなかったようです。

というか戦後の二科会から認めてもらえなかったのかな。

 

三十年以上前に亡くなったんですが、そのとき戸籍謄本を見たら、戦争末期に最初の奥さんと息子を亡くしてた。

「世捨て人」はここから来てたのかもしれないと思いました。

戦後すぐ伯母と結婚して小さな家で二人仲良く暮らしてました。

 

この小さな家の壁一面に伯父は大仏様の絵を描いた。

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「大仏屋敷」と名付けて喜んでました。

大阪の交野市に住んでたんですが、京阪電車から何百メートルか先の「大仏屋敷」がはっきり見えました。

徐々に住宅が建て込んでそのうち見えなくなりましたが。

 

私が小学生のころ、伯父が「交野市大仏屋敷でハガキが届くんじゃ」と威張ったんです。

ホントかなと思って、「交野市大仏屋敷村尾慎太郎様」でハガキを出したら届いたんです。

伯父さんはエライ!と思いました。

 

夏、伯父はパンツ一丁でした。

村の人が、「先生が窓辺に立ってると、先生のへそが大仏さんのへそに見える」と言ったとうれしそうに話したことがあります。

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