若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

大仏屋敷

きのう「住所のない家」について書いてて伯父の家を思い出しました。

伯母(父の姉)の夫で、子供心に「かわったおじさん」と思ってました。

「世捨て人」とか「脱俗の人」という言葉を知らなかったので「かわったおじさん」と思ってたんです。

「絵描きさん」ということでした。

戦前、中学で絵を教えながら二科会会員として絵を描いてたみたいです。

戦後は「旧二科会員」を名乗ってました。

戦後の二科会を認めてなかったようです。

というか戦後の二科会から認めてもらえなかったのかな。

 

三十年以上前に亡くなったんですが、そのとき戸籍謄本を見たら、戦争末期に最初の奥さんと息子を亡くしてた。

「世捨て人」はここから来てたのかもしれないと思いました。

戦後すぐ伯母と結婚して小さな家で二人仲良く暮らしてました。

 

この小さな家の壁一面に伯父は大仏様の絵を描いた。

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「大仏屋敷」と名付けて喜んでました。

大阪の交野市に住んでたんですが、京阪電車から何百メートルか先の「大仏屋敷」がはっきり見えました。

徐々に住宅が建て込んでそのうち見えなくなりましたが。

 

私が小学生のころ、伯父が「交野市大仏屋敷でハガキが届くんじゃ」と威張ったんです。

ホントかなと思って、「交野市大仏屋敷村尾慎太郎様」でハガキを出したら届いたんです。

伯父さんはエライ!と思いました。

 

夏、伯父はパンツ一丁でした。

村の人が、「先生が窓辺に立ってると、先生のへそが大仏さんのへそに見える」と言ったとうれしそうに話したことがあります。

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