きのう書いた我が家の育児日記についてちょっと訂正というか修正というか。
1年ずつルーズリーフノートにまとめてあると思ってたんですが読み返してみたら最終の第24巻には1996年と1997年が入ってた。
しかも1996年分は5ページで、1997年は2ページ。
その前の1995年分は10ページ。
こうなるととても日記とは言えません。
未練たらしいというかあきらめ悪いというか我ながらちょっとどうかと思いました。
日記の最終盤数年はページ数は少ないけど中身は充実というかハードというかヘビーというかなかなかのもんです。
母の認知症が急激に悪化、父が入院し手術し亡くなり、伯父伯母が次々に亡くなり葬式の連続ですっかり葬儀屋さんと顔なじみになり、葬式の連続のあとは四十九日と一周忌の連続、子供の高校受験大学受験、私は仕事が大変な中エレキギターの発表会で悪戦苦闘。
多事多難を絵にかいたような数年だったんですな。
1994年1月2日の日記には「たいへんな状況の我が家にハッピーボーイまさき(息子10歳)の存在がありがたい」と書いてます。
記念すべき最終日記は1997年2月23日(日)。
「きのう今日と風邪でダウン。伯父の1周忌欠席。
またもや発表会直前の恒例の悪夢にうなされてしまった。」
発表会前の悪夢の内容は毎回似たようなもんです。
今回もギターを持ってステージに立って弾こうとしたら見たこともないような変な形のギターである。
あわてて楽屋に戻ってギターを交換。
弾こうとしたらギターには弦ではなくて縄が張ってあった。
あわててギターを交換。
今度はピックが鉄のように重い。
交換に行ってる間に客がどんどんいなくなる。
まあお粗末極まりない悪夢である。
19年続けた日記の最終ページが、熱でダウンして伯父の1周忌を欠席して悪夢にうなされるという、まあふさわしいと言えばふさわしい最後かな。