若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

訃報

伯父が亡くなった。
母の兄で、たしか95歳だったと思う。
これで母の兄と弟とは全員亡くなって、妹が一人だけになった。

父も母も6人兄弟で、平均寿命は90歳近い。
12人が、にっこりピースサインで私の長生きを保証してくれている。
母が91歳で、埼玉にいる母の妹が85、6だから二人の動向如何で私の予想余命はますますのびることになる。

友人の中で私が最後まで残ってひとりぼっちになると思うとなんだかさびしい。
最近トシのせいか友人と会うと、「こいつの葬式にも出ることになるんだろうな」と思う。
しみじみとして心の中で手を合わせる。
皆そんな私の胸の内も知らず気楽なものだ。

伯父の友人で葬式に来る人はないだろう。
私の葬式に来る友人もいないだろう。
皆死んでしまってるからだ。
長生きもいいけれどさびしい。

伯父もさびしげであった。
頭が良くて勉強が抜群にできて努力家で仕事もよくできた人特有の厳しさにどうしようもなく付きまとうさびしさである。
弟や妹たちから文句なく尊敬されていたと思うが、尊敬されるのはさびしいことかもしれない。
尊敬されたことがないのでよくわからんが。

入院中の伯父を見舞った時、母から聞いていたそんな話をした。
「伯父さんは勉強が飛びぬけてできて努力家で長男としての責任感を持って」というようなことを言ったら、伯父はさびしそうに笑って「もうちょっとええとこないか」と言った。
意味深長な発言であった。
とりあえず、勉強もできず努力家でもなく責任感もない人間にとって励みにはなる。

何年か前、伯父といっしょに親戚の葬式に出た。
新幹線のグリーンをおごると言ったら、「もったいない!」と言う。
じゃあ指定席を買いますと言ったら、それも「もったいない!」。
自由席でいいというのである。

自由席はすいていた。
伯父は鬼の首でも取ったように、「な、鹿之助ちゃん、鉄道のことは鉄道屋ににまかしとけ」と言った。

「鉄道屋」!
伯父は大学卒業後、満州鉄道に勤めたのだが敗戦までの十年間である。
戦後四十年ほどはガス器具のメーカーに勤め取締役になっている。
ガス風呂を売り歩いた苦労話を聞いたこともあるし、私にとっては伯父は「ガス屋」だ。
ふと口をついて出た「鉄道屋」という言葉に驚くと同時にしみじみしてしまった。