若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『不忘古研新・シベリア抑留追想記』

先日亡くなった伯父が書き残したものがあったら見せてほしいと、従兄弟に頼んであった。

残念ながらなかった。伯父は、何十年間にわたって受け取った年賀状や、出席した結婚披露宴の料理のメニュー、ありとあらゆる領収証などを、何十箱の段ボールケースにきちんと保存していた。
おかしいようなさびしいような話だ。

従兄弟が、伯父の遺品の中から持ってきてくれたのが、『不忘古研新』という本だ。満州鉄道時代の部下であった人が、三十年前、六十歳の時に自費出版したものだ。伯父が序文を書いている。

三分の二が追想記、三分の一が、乳飲み子を抱えて夫の帰還を待つ奥さんの日記だ。
奥さんの文章の方がはるかに上だと断言できる。私が編集者なら、奥さんの日記を主にして、「シベリア抑留記」は付録にする。

「シベリア抑留記」はいくつも読んだ。自費出版だけでも相当な数があるだろう。シベリアも大変だったが、奥さんたちも大変だったのだ。
奥さんの日記を付録につけただけでも偉い。

「抑留記」の定番は知らないが、奥さんの体験談の定番は、藤原てい著『流れる星は生きている』だろう。

シベリアでのエピソードはそれぞれに興味深いが、「家庭のお祭り日」という話がいい。著者は、つらい毎日、今日は結婚記念日だ、父の命日だ、などと思い出しては気持ちを奮い立たせてきた。「特別な日」は生きていく力になるようだ。

三十年ほど前、何人もの人が、我が家に「思い出の記」を送ってきた。ちょうど皆さん60歳を過ぎたころだったのだろう。私は今60歳だが、「思い出の記」を書く気はしない。
親の世代は、若い頃戦争を経験しているから、60ともなると、よくぞここまで、という気がしたのだと思う。

そのころ読んだ中で、一つだけ、『曠野の女将軍』というのを覚えている。
母の女学校時代の友人が、満州共産党軍につかまる。
部隊を指揮していたのは白馬にまたがった若い女性だったという話だ。

何年か前、伯父に「思い出の記」を書いてみたら、とすすめたことがある。
満鉄のエリートであり、シベリア抑留を経験し、戦後はビジネスの世界で成功した人だ。書くべきことはたくさんあるだろう。

伯父は即座に、「素人が書いたってダメや!」と言い放った。

かなりの「思い出の記」を読まされてましたね。