今日は「エイプリルフール」か。
「天声人語」にそう書いてあった。
伯母の日記を読むと、大正時代の子供達も、「エイプリルフール」を楽しんでいたようだ。
少なくとも、伯母は、この日に、弟(私の父)をだまして喜んでいる。
伯母の日記には、かなりの年になっても、「今日はエイプリルフールだ」という記述が出てくる。
よほど好きだったようだ。
「年中フール」の私には、ぴんと来ない話だ。
「特別の日」というのがある。
「誕生日」とか「創立記念日」とかを祝う。
「なんでもない日」もある。
その「なんでもない日」を祝ってしまおうという愉快な二人組みが、ディズニーの「不思議の国のアリス」に出てくる。
原作に出てくるかどうかは知りません。
昔、あれほどおもしろい映画の原作は、と思って読みかけたけど、あまりのおもしろくなさに驚いてすぐに投げ出した。
「♪なんで〜もない日バンザイ!」と歌って踊る。
「♪キミとボクとが生まれなかった日!なんでもない日、おーめーでーとー!」
すばらしい発想である。
誰にでもマネが出来るというものではない。
あるシベリア抑留者の、「思い出の記」を読んだことがある。
三十年ほど前に書かれた本だ。
厳しい寒さ、激しい労働、飢え、次々に死んでいく仲間たち。
絶望的日々の中で、その人は、「記念日」を生きる力にしたという。
「もうすぐ長女の誕生日だ」
「こんどは、結婚記念日だ」
「ああ、おやじの命日か」
「村の祭りがやってくる」
すばらしい発想である。
これなら誰にでもマネができそうだ。
強制労働に明け暮れながら、「もうすぐ長女の誕生日だ」と、指折り数えて待っている。
いい話だ。
「もうすぐ定期預金の満期だ」
これはおもしろくない。
著者は、シベリアから無事帰還できたことに感謝し、つらかった日々と、死んでいった戦友たちを忘れないよう、シベリアに連行された日を記念日にした。
その日は、家族全員、三食とも梅干とおかゆだけを食べる。
戦後何十年、どうかすると、朝、奥さんが用意した食卓のおかゆと梅干を見るまで、その「記念日」を忘れてしまっている、ありがたいことだと書かれていた。