若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

花に埋もれて

伯父は棺桶の中で色とりどりの花にうずもれていた。
私のときは、白い布でくるんで花が少しでいいと思った。

伯父が大変な秀才であったことは、母からさんざん聞かされていたが、晩年になって頭の良さを実感した。
何年か前、入院中の伯父を見舞ったとき満州時代の思い出を初めて聞いた。
何年何月何日にソ連軍の捕虜になって、何月何日に何とかいう駅で汽車に乗せられ、何日にどこそこの駅に着いて、何日に・・・。
私は思わず、伯父さんほんとに覚えてるんですかと聞かずにおれなかった。

満州鉄道時代がなつかしいだろうと思ってインターネットで探したら、最近中国を訪れて満州鉄道の「遺物」を撮影してる人が何人かいた。
機関車の写真などを印刷して伯父に見せた。

一枚の機関車の写真を見るなり、「こんなでたらめなことして!」と言った。
機関車についている記号の看板がちがうと言うのだ。
本来その型の機関車につける看板ではないそうだ。
60年前の話ですが、伯父が言うのだから確かだと思います。
中国で現在満鉄の保存、展示関係の仕事をしてる責任者の方、伯父が怒ってましたよ。

葬式の楽しみはふだん会えない人に会えることだ。
横浜からきよ子ちゃんが来ていた。
彼女は私が大学で横浜にいた頃小学生で、「ちゃきちゃきの浜っ子」であった。
いまや堂々たる奥様である。

彼女の父親は先年亡くなった。
今度亡くなった伯父の三番目の弟だ。
「兄貴に負けないようにがんばった」と言っていたそうだ。
大秀才の兄を持って大変だったのだろう。

きよ子ちゃんが、「父が遺した日記があるんです」と言った。
恐くてまだ読んでいないそうだ。
二人で話していて、親子関係は似たようなものだと思った。
二人とも親の仕事や結婚のいきさつをあまり知らない。
そのあたりは知りたいが、ひょっとすると知りたくない事実も書いてあるのではないか。
そう思うと読めない。

その気持ちはわかる。
私は、伯母が遺した60年にわたる日記を読んでいて、これが親の日記だったら恐くて読めないだろうなと思った。
伯母が私の母の悪口を書いていたり、世話になっている自分の姉の目をごまかして不倫に走っていても、あれまあ、と笑って読める。

伯父や伯母だと、その人についてほとんど知らないので知りたいという気になる。
すべてを知ったところで痛くもかゆくもない。
親はそうはいかん。