朝日新聞有夕刊。
文化欄に大きな写真が出ている。
瓦を積み上げた壁のように見える。
「堺市 土塔」
727年、僧行基は、故郷の河内国大鳥郡(堺市)に大野寺を建立した。
写真の、瓦の壁のようなものは、大野寺の仏塔で、現在復元中とのことである。
もとは、十三重の塔だったらしい。
土で作ったから「土塔」。
そうか、と思って、はっと気づいた。
「堺市土塔」
これって、あの「どとう」か!?
ウチの遠い親戚に、「どとうの○○さん」がある。
堺の人である。
子供のころからよく耳にした。
ただし、「どとう」ではなく、「どうと」とおぼえている。
母が、「どとうの○○」さんとはいわず、「どうと」と呼んでいたと思うのだが、私がそう思いこんでいただけかもしれない。
私が、「どとう」というようになったのは、かなり最近のことだ。
いずれにせよ、私にとって、「どうと」あるいは「どとう」は、地名ではなく、親戚の呼び名だった。
「○○さん」という「正式名」の方は、考えないと出てこない。
で、今日の夕刊の見出し、「堺市 土塔」を見ても、子供のころから私の頭の中にある「どとう」とすぐには結びつかなかった。
ましてや、あの「どとう」が、行基建立の寺の「塔」のことだったとは。
「どとう」の方々とは、この数年、伯父と伯母の葬式や法事でお目にかかる機会が多かった。
もう、伯父と伯母の年忌はない。
次にお目にかかるとしたら、私の従兄弟の・・・(-_-;)