明日は雛祭だ。
伯母が遺した日記に、「三月三日、関東の雛祭だ」というようなことが書いてあった。
大正や昭和の初め、大阪では三月三日ではなかったのか。
祖父が八十年か九十年前、五人の娘たちのために買った雛人形が我が家にある。
非常に小さな人形だ。
伯母は日記の中で何度も、「楽しかった雛祭」と回想している。
末の娘だった伯母にとっては、姉さんたちとの雛祭がよほど楽しかったようだ。
祖父は古いものを買い集めるのが好きだった。
人形はそろいだが、道具類は大小いろいろで、一つずつ買ったらしい。
子供のころ、この小さな雛人形やいろんな道具を出すのが楽しみだった。
記憶の中では、非常に暗い電球の下で、小さな箱を一つ一つ開けていった。
伯母たちの雛人形で、私の妹も雛祭をした。
娘たちは、家内が持ってきた雛人形とうちの雛人形とを見て育った。
小さくて、人形だけならお盆に並ぶので、この雛人形は今も飾る。
何年か前、日記を書いた伯母を看取って、六人姉弟の中で最後に残った伯母が寝たきりになったとき、ふと思いついて、我が家に飾ってあった雛人形をビデオでとって持って行った。
テレビにつないで見せるとベッドの伯母は
「ほーっ!」と声を上げた。
「よう残ってたんやなー。あんたのおかあちゃんが、きれいにとっといてくれて・・・・。疎開のときも持って歩いてくれたんやなー」
涙を浮かべて画面の雛人形を見つめていた。
我が家の雛人形たちの最後のお勤めだったのかな。