若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日記

インターネットに日記を書き始めて9年目。
よく続いてます。

我が家の「育児日記」は、20年続きました。
後のほうは、「育児日記」とはいえんけど。

子どもを見てたら面白いので書き始めたんですが、読み返すと楽しいです。
きのう、「育児日記」の終わりも近い1996年分を読みました。

次女が高校生です。

次女が相変わらず学校での出来事をよくしゃべると書いてある。
幼稚園からず〜っとでしたね。

先生がどうした、〇〇さんがどう言ったと、ジェスチャー入りで熱演する。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、なんと就職してからも!

営業の〇〇さんがどうした係長がどうした部長がどう言った得意先がこうなった外注先がどうなった。
毎日報告する。
娘の会社の内情をこれほどよく知ってる親もないだろうと思いました。
社長よりよく知ってたんじゃないでしょうか。

小学校低学年のとき、学校で意地悪されたことがあって、そのときはよほど腹が立ったのか、口頭での報告だけではすまず、紙で人形を作って「人形劇」として演じて見せましたね。

私たちを座らせて観客に見立て、両手で人形を操り、「やめてよ!〇〇さん!」と熱演しました。

さて1996年。
次女は高校のピアノ科でした。

終わりのホームルームで担任の先生が、ピアノ練習室に楽譜の忘れ物があったと言ったとき、娘は、「間抜けな人がいるなあ」と思ったそうです。

誰も名乗らないので、先生は楽譜のタイトルを読み上げた。
それでも誰も手を上げないので、娘は「自分がひいてる曲のタイトルを言われてもわからないとは本当に間抜けな人だなあ」と思ったそうです。

誰も名乗りを上げないので先生は、「え〜っと、1ページ目にピアノの先生の字で赤鉛筆で、『頭を使え!』と書いてあるよ」言いました。

そのとき初めて、娘は自分の楽譜だということに気づいて、とんだ大恥をかいたそうです。

1996年は息子が10歳です。
夕食のとき、家内が、「隣のおばあさん、90歳だって」と言いました。

息子は大変驚いたようでした。

「え!90歳!・・・もう死亡推定時刻過ぎてるんとちがう?」

「育児日記」は終わりかけとはいえ、まだまだ楽しい我が家でしたね。