若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

伯母の日記

伯母が遺した日記を、ホームページ化する作業が終わった。

日記を見つけた時のことは忘れられない。
伯母は、姉と二人暮しで、晩年は姉の介護を受けながら亡くなった。
あとに残った伯母は私が見送り、二人が住んでいた家を処分することになった。

最後に残った伯母は、極めて有能な主婦で、90歳を超えての一人暮らしであったが、整理整頓は完璧だった。

特に記念になる物や利用できる物はなく、すべてまとめて処分してよかろうと思った。
そして、最後に開けた戸棚から、紙箱に入った大量の手帳が出てきたのだ。
他のすべてが見事にまとめられているのに、これだけは雑然とつっこんであったので、異様な感じを受けた。

何だろうかと思って、手帳をパラパラめくると、読みにくい字で、「終日原稿作成」などと書いてある。

「おふみ伯母さんの日記だ!」
手帳の山を見て当惑した。
これをゴミとして処分してよいのか?

私は、「おふみ伯母さんの日記」を読む気はしなかった。
伯母は、大阪観光協会に長年勤めていた人だ。
波乱万丈の人生というわけではない。

伯母を見送った姉の主人は画家で、戦前の二科会の会員だった。
若い頃、ロシアやビルマに絵を描きに行ったと言っていた。
そういう人の日記なら面白いかも知れない。

それに、伯母は「文章を書かない人」だった。
伯母は、仕事柄、私に美術館や文楽座の切符を送ってくれた。
おかげで、天王寺美術館や文楽座にはよく足を運んだものだ。

私に切符を送ってくれるとき、封筒には切符が入っているだけだった。
若い私であったが、「なんかひと言書いてくれればいいのに」と思ったものだ。
よほど文章を書くのが苦手なんだろうと思っていた。

普通の職業生活を送った、文章を書くのが苦手の人の日記など、面白いわけがない。

家内の父の「手記」でこりていた。
家内の父が定年退職後「想い出の記」を書いたというので、私がワープロで打ってプリントアウトするのを買って出た。

義父は完全に理科系の人で、頭のいい人だったが、文章を読んで驚いた。
何を言わんとしているのか理解に苦しむ文章の連続なのだ。
ワープロで清書」ではすまなかった。
はじめのうちは、不明の箇所を一々質問して書き直していたが、その内私が勝手に書き直した。
私が書き直した文章を読んでも、義父は自分が書いたものだと思っていたようだ。