きのう、美術予備校の先生の個展に行きました。
若い女性像や風景画の中に、高齢男性の肖像がありました。
ほかの作品とはちがうなにか強いものを感じました。
会場で先生に聞くと、モデルは先生のお父さんでした。
三年前、お父さんが心臓病でかなり心配だったころ描いた絵だそうです。
私が感想を言うと、先生は、「これが最後かも知れないと思うと、やっぱり、モデルさんを描くのと気合がちがいましたからね」
なるほど。
どんなにうまくても、気合ですかね。
まあ、何を描くときも気合満点なのが優れた画家なのかもしれません。
先生は、「鹿之助さんは、お孫さんや娘さんや、気合の入るモデルばかりでいいですね」
たしかに。
カルチャーセンターの人物画教室では、気合が入りませんでしたねえ。
モデルさんには悪いけど。
なんちゅうか、「う〜ん・・・この人を描きたいわけじゃないんだけど・・」みたいな。
「勉強!」と思えばいいんでしょうが、トシのせいか、なかなか「勉強!」とは思えないもんです。
カルチャーの先生は、「ここは習作の場です。作品は家で描いてください」とおっしゃってましたが。
私は、両親を描くことはなかったです。
家内の両親は描きました。
生きていれば描きたいか?
う〜ん・・・。
どうでしょう。
微妙ですね。
話はちがいますが、私は、伯母が残した日記を読みました。
その話を従姉妹にしたら、彼女は、父親が日記を残したんだけど、こわくていまだに読めないと言ってました。
子煩悩の良き父でしたが、伯母の日記のように気軽に読むわけにはいかんのでしょうね。
親の肖像も、子供や孫を描くみたいにはいかんかな。
これも、「なんとかコンプレックス」の一種?