みいちゃんに「てっちゃんの絵を描いたよ」と言ったら「ふ~ん、てっちゃんの似顔絵を描いたの?」と言うので「似顔絵じゃなくて肖像画だよ」と言ってから、同じことか、と思いました。
「似顔絵」と言われると何となく一段下みたいに思えるんですが、言葉の意味はいっしょですね。
言葉の意味はいっしょですが「似顔絵を描く」と言うのと「肖像画を描く」と言うのではなんとなく格がちがうような気がします。
言葉の意味はいっしょだけど雰囲気がちがう。
言葉の元の意味はいっしょだけど今の日本での使われ方では意味がちがうと言うことかな。
とにかく私は孫の似顔絵を描いてるのじゃなくて肖像画を描いてると言いたい。
ややこしい人やね。
美術予備校の先生は「お金をもらって描く肖像画は似てなくてよろしい」と言ってました。
「これまで何枚も描きましたけど、できるだけ美人に男前に描いて、『似てない』と文句言われたことはありません」
フランス近代画壇の巨匠アングルは貴族の奥様お嬢様たちの肖像をたくさん描いてます。
批評家たちからは「モデルにゴマすって美人に描きすぎ。よいしょのアングル」と言われた。
アングルは反論した。
「私はゴマなんかすってない。画家はモデルの奴隷である。私は忠実な奴隷として誠実に描いているだけだ」
「奴隷」は言い過ぎでも当時貴族と画家の位置はそれに近かったみたいです。
アングルがこぼしてます。
「奥様お嬢様たちはじっとしてくれない。職業モデルみたいに、5フランやるからじっとしてろ!と言ってみたい」
じっとしてないどころか、ある奥様なんか描いてる途中どこかへ行ってしまって戻ってきたら髪型が変わってた。(-_-;)
そんな「よいしょのアングル」に描いてもらってて文句を言った伯爵夫人もいる。
「腕が太すぎ。目と目の間が離れすぎ」
画壇の巨匠アングルに直接そんなこと言えないので知り合いに頼んでそれとなく言ってもらったそうです。
どうなったでしょう。
じっとしてくれないと言えば朝日カルチャーセンターの講師栄永大治良先生もぼやいてました。
関西画壇の長老栄永先生は小磯良平亡き後関西政財界の大物の肖像画を手掛けられた。
「みなさんじっとしてくれはりませんねん。新聞読んだりテレビ見たり。まあ、小磯はんやったらじっとしてはるんでしょうけどな」
あんまりじっとされるのも困りますよ。
私も知り合いにモデルになってもらったことがありますが、皆さんカチカチになる。
別人みたい。
安井曾太郎も言ってます。
「友人たちの肖像を描きたくてモデルになってもらうんだけど、皆さん座ると別人になってしまう」
息子のお嫁さんを何度も描いてますが、結婚前や結婚して二、三年は描いてる最中にぷっと吹き出したりくすくす笑いだしたりでした。
別人にならなくていい感じでした。