若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

親子

私がここに書いているのは、「日記」とはいえない。
だから、これを読んでも私と言う人間については分からない。
これを読んで、私のことをふざけたほら吹きだと思う人はまちがっている。
私は、ここでふざけてほらを吹いているだけであって、ふざけたほら吹きではない。

伯母が遺した60年にわたる記録は、典型的な「日記」だ。

私は、有名無名の人の日記をいくつか読んだが、伯母の日記が一番面白く読めた。
私にとって親しい人だったからだろうが、それだけではなく、私にとって、「肌が合う」文章なのだと思う。

この日記で、伯母の歩んだ人生がよく分かった。
親のことより詳しく知っていると言える。
何かを知るというのは不思議なことだ。

父は、兵隊として中国に3年いたが、それについてほとんど語らなかった。
中国にいる間に酒が強くなったとか、ひまだったのでひげを伸ばすのがはやったとか、気楽な話を聞いた。
父が亡くなった後、中国での2冊のアルバムが出てきた。
マージャンをしていたり、スケートで遊んでいたり、もちをついていたり、これが戦地での写真か、とあきれるような写真が2冊だ。

やはり相当気楽な軍隊生活だった様だと言ったら、家内が、でも、毎日のように死体を焼いてたて言うてはったよ、と言う。
不思議である。
私はそんな話、聞いたことがない。

大学を出て二、三年の頃、友人の家に行った。
会社の経営者であったお父さんが出てこられて、いろいろ苦労話をされた。
勉強家のえらいお父さんだと思った。
あとで友人にそう言ったら、「ほんまやなー。おやじ、えらいなー。あんな話、はじめて聞いた」と言った。

不思議なようだが、父親が息子をつかまえて、「お父さんはな」とやりだすと、「うるさいなー」となるから、残念ながら仕方がない。
あの時私が訪ねて行ったのは、友人父子にとって幸いだったと言えるだろう。

親子と言うのは、「知る」ということが、あまりうまく機能しない関係なのだろう。
知らなくても分かってる、みたいなヘンな関係なのだろうと思う。
お互い、それを超えて知ろうとするには大変なエネルギーが必要な上、時としてすさまじい摩擦が起きる。

親子が知らん顔してるのは人類の知恵ですね。