若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

郵政改革

郵政改革とは何か。
郵政の改革だ。

郵政とは何か。
郵便のことであるなら、郵政改革は単純でわかりやすく、行いやすいと思うが、郵便に始まって、貯金とか保険とか、手紙はがきのほかに莫大な金がからまってしまっているのでわかりにくい。

わかりやすそうなことから考えてみよう。
初めて手紙やはがきを書いたのはいつか。
覚えていそうで覚えていない。

子供のころ、遠くに住むおばあちゃんとか、入院中のお父さんとか、特に手紙を書く相手もいなかったので、書いたとしても年賀状以外に思いつかない。
担任の先生にでも出した年賀状が初めてのはがきだろうか。

小学校一、二年のころ、いも版で作ったような気がする。
子供にとって、はがきや手紙を書くことはあまり自然なことではないだろう。

母はよくはがきや手紙を書いていた。
返事が来るのを楽しみにしていて、郵便受けをのぞきに行くとき、「タネをまいてあるからね」と言っていた。
母に来るはがきは、すべて私にとって解読不能の続け字で書かれていた。
子供時代の私にとっての最大のなぞの一つが、私に読めないその字を母が読めるということだった。

おとなになったら読めるようになるのだろうと思っていたが、読めませんね。

大学時代、下宿して高校の友達と遠くはなれてから、何人かに猛烈に手紙を書くようになった。
それぞれが返事をよこしたので、ほぼ毎日のように手紙を書いていた。

卒業してあまり書かなくなって、友人がケニアで暮らすようになったとき、またたくさん書いた。
妹一家がインドネシアで暮らしていたときも、結構書いた。

手紙は、私にとって遠距離通信のようだ。
しかし、伯母が遺した日記を読むと、大正時代、女学生だった伯母は、すでにメール感覚で友達と激しく手紙のやり取りをしている。
かわいい便箋や封筒を探して、遠距離通信ではなく、楽しみである。

小学生のとき、正月に近所を歩いていた。
同じ学年の女の子が自分の家から出てきた。
手に年賀状を持っていたので、ポストに入れに行くのだと思った。
ところがその子は、隣の家の郵便受けに年賀状を入れた。

はがきは郵便屋さんが運ぶものという固定観念にとらわれていた私は彼女の行動に衝撃を受けた。
たぶん、小泉首相も同じような光景を目にして郵政改革を志したのではなかろうか。