若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

私のお尻をかんだ犬

時々、ふと思い出すことがある。
思い出そうとして思い出すのではない。
どういうわけか、ふと思い出す。

そういうときに私は私の脳に聞きたくなる。
いったい何をしているのだ。
私の脳なのに、私の了解もなく、勝手にいろんなことを思い出す。
私が思い出そうとして思い出すのでないとすると、誰が思い出そうとしているのか。
ナゾだ。

子供のころ、すぐ近くに小さな家があって、おじさんとおばさんと犬がいた。
おばさんはまったく覚えていない。
おじさんは、幼稚園児であった私から見ると、おじいさんだった。

幼稚園に行くとき、たまにおじさんといっしょになった。
畑の横を通っているときおじさんが、「お父ちゃんは何をしてるの」と聞いた。
父は、塗料販売業だったが、子供にもわかるように私には「油を売ってる」と言っていたのだろう、私はおじさんに、「お父ちゃんは会社で油売ってます」と答えたのだ。

それをおじさんが面白がっておばさんに言い、おばさんが面白がって母に言い、母が夕食のとき父に言って、父が、あははと笑ったのだ。
私は、何がおかしいのかわからず、自分が笑われたのが心外であった。

おじさんが飼っていた犬ははっきり覚えている。
私のお尻をかんだからだ。
おとなしそうな雑種だった。
小さな家の玄関は道路に面していた。
玄関の横に犬小屋があった。

ある日私が犬小屋の前を通り過ぎるとき、犬が追いかけてきそうに思って走った。
すると犬は私に飛びついてお尻をかんだのだ。

正確に言えば、かまれたことを覚えているわけではない。
お尻が痛かったとか、犬が恐くなったとかいうことはない。
母が言ったことを覚えているのだ。

犬の前で走ってはいけない。
走ると犬は追いかける。
お前が走ったからあの犬にかまれたのだ。
教訓として非常にはっきり覚えているのだから、たぶん私はその犬にお尻をかまれたのだ。

なんとなく不思議な感じだ。
その犬はとっくの昔に死んでいるだろう。
おじさんたちも死んでいるだろう。

その犬のことを覚えているのはたぶん私だけだ。
その犬が生きてこの世にいたことを知っているのは、お尻をかまれた私だけだ。
私のお尻をかんだ犬、お前のことを覚えているよと言ったら、しっぽを振って喜ぶかな。

私のお尻をかんだ犬。
なんだこれは。