説教を聞いたことがある。
先生やオヤジの説教ではなく、宗教の方である。
二十数年前のことだ。
得意先の創業者である老会長が、某宗教の熱烈な信者だった。
しかし、そういう人にありがちな「困った人」ではなかった。
私にとって、祖父のような年齢の人だったからか知れないが、「愛すべき人」という感じだった。
この会長の昔話、体験談を聞いていると、その宗教に熱心になるのが当たり前だと思えた。
信心に励んでいると、仕事も家庭もうまくいく。
参拝をサボって旅行に行くと、交通事故で大ケガをした。
会長の「神学」もなかなか面白かった。
酒は一年に四斗は飲んでよいと神様が決めてくれたそうだ。
「四斗樽」→「しとだる」→「人樽」ということらしいです。
女性は、元々はへびだそうだ。
それも、しっぽに剣が入ったへびだと言う。
「女の人の意地の悪いのを『じゃけん』というのはここから来とるんや」
私は、吹きだしそうになったが、必死にこらえた。
会長は真剣だったのだ。
「会長、それは『蛇剣』ではなくて『邪険』でしょう」などと突っ込める雰囲気ではなかった。
まあ、なんだかよくわからんが、話を聞いているのが楽しかった。
その本部に連れて行かれたことがある。
連れてこられた人が大勢いた。
大きな教室のようなところで説教を聞いた。
その部屋には、背もたれのない長いすが並んでいるだけで、机もなかった。
理由はすぐわかった。
眠くなるのだ。
ものすごく眠くなるのだ。
しかし、眠ろうにも、背もたれもなく机もないのだ。
眠れない。
この宗教は人間をよくわかっていると思った。
しかし、人間はすばらしい。
ドタッ!という大きな音を立てて、床に倒れた人がいた。
天罰だったのかな。
それからしばらくして、もう一度おいでと誘われた。
説教がまったく同じといってもよい内容だったので驚いた。
同じ説教を10回聞かせるそうだ。
「人間は忘れる。しかし10回も同じ話を聞いたら、どんなばかでも忘れないだろう」
この宗教は人間をよくわかっていると思った。