若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

こけかきいきい

子供のころ、非常に楽しみにしていたのに、紙芝居のことをあんまりおぼえていない。

「こーちゃん」というおじさんが、紙芝居がすたれるまで長い間、我が家の裏に来た。

我が家の裏から西にまっすぐ道があって、突き当りが「いさちゃん」の家で、その前には「まんねん」というおじさんが来た。

数十メートルの距離だが、完全に縄張りがはっきりしていて、私たちは「まんねん」の紙芝居をほとんど見なかったし、いさちゃんたちも、こっちにくることはなかった。
当時の子供世界の縄張りは、お地蔵さん単位になっていたような気もする。

「こうちゃん」以外にもいろんなおじさんが来たが、すぐ消えていった。

「ぽんちゃん」というおじさんは、読むのがヘタで、よくやじられていた。

「戦車タンク」と名乗ったおじさんをおぼえている。
最初の日に、アイスクリームをただで食べさせてくれた。

「戦車タンク」さんの家までついていったことがある。
二十軒ほどの小さな市営住宅の一つがおじさんの家だった。
豪邸とか、怪奇な家を期待していたわけではないと思うが、非常にがっかりしたことは覚えている。

「こうちゃん」の演目で覚えているのは、『ああ無情』だけだ。
あと、『紅はこべ』だったか、「紅」のつく演目があった。
一年生か二年生の私が、「紅」という字を読めたので、父が感心したことがあった。

通りすがりに他のおじさんの紙芝居を見ることがあった。

『怪人ガキグゲ』という紙芝居をしているのを見た。
「ガギグゲ」という怪人の話だ。
あまりにひどいタイトルなので覚えている。

『ラーリーゴー』というのもあった。
「ゴリラ」をさかさまにしたのだなと、子供心にもばかばかしかった。

「まんねん」のおじさんが、『こけかきいきい』という話をしていて、これは一度か二度見ただけだが、実に恐ろしい気がした。
赤ん坊か何かが、「こけかきいきい、こけかきいきい」と泣くのである。

今、インターネットで調べたら、なんと水木しげるさんの作品だ。
インターネットのすごさですな。

こうして思い起こすと、「こうちゃん」の演目は健全だったようだ。
心に残るようなヘンなのはなかった。

「こうちゃん」が所属する紙芝居組織が良心的だったのか。
「高級紙芝居」「大衆紙芝居」という区別があったのだろうか。