若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日本語入力

朝日新聞

パソコンで、日本語を入力するのに、ローマ字入力の人が、85%ほどだという。

二十数年前、パソコンを買ったとき、ローマ字入力にするか、かな入力にするか迷った。
迷ったというほどではなく、ローマ字の方がキーボード上の位置を、覚えやすいといわれて、すぐローマ字にした。

ちょうど、中小企業にパソコンが普及しつつある時期だった。
「パソコン教室」に行くと、会社から、「勉強して来い」といわれた中高年の男女が多かった。

私が行った教室の「先生」は、二十歳くらいの女性だった。
実に的確に教える。
幼稚園児のように無知で不器用なおじさんおばさんを、幼稚園の先生のように、やさしくていねいに指導する。

指導振りに感心して、どこでコンピュータのことを習ったのかきいた。
「大学ですか、専門学校ですか」
「いえ、普通の短大を出て、コンピュータについては、この会社に入ってから、二ヶ月間研修を受けただけです」

若いってすごいと思いましたね。

教室で、隣の席の女性が、「社長にいわれてきたんですけど・・・ついていけませんわ。もう会社やめよかと思てます」と深刻な表情で語ったのを思い出す。

逆の「深刻」もあった。
ある中小企業が、事務員さんにパソコンを習わせて、経理などをパソコンでこなすようになった。
社内でパソコンができるのは、彼女だけである。
で、社長は、彼女にやめられるとお手上げなので、パソコンと並行して、自分でもこれまでどおり手書きで帳面をつけていた。

企業間の、「報告書」なども、急速に、「手書き」から「ワープロ」に変わっていった。
ある会社に、「ワープロ報告書」を出したら、社長から、「手書きの方が心がこもってる」といわれたことがある。

コンピュータの前に、「そろばん」から「電卓」へという「進化」があった。
1970年あたりから、中小企業に電卓が入りだした。
父は、合理主義者で、新しい物好きだったが、どういうわけか、「電卓」には拒絶反応を示した。

あんなものはダメや!と、かなりかたくなであった。
「大阪商人!」という人ではないのに、不思議だった。

私が使い始めると、すぐ自分でも使い出して、「やっぱり便利やなあ」と笑っていた。

柔軟であった父の、唯一ともいえる「抵抗」としてなつかしい。