今日は妹の大学のクラス同窓会だ。私は出ません。
先生が出席されるのであるが、明治43年生れというから96歳である。明治43年生まれの先生を囲む同窓会!先生を偲ぶ同窓会ではない。
見舞うのでもない。出席されるのである。立派である。
二十年ほど前、伯父が90歳で亡くなった。
伯父は中学の教師をしていたが、近所に教え子のTさんという方がいて、子供のない伯父夫婦のためによくしてくださった。
伯父を棺桶に入れる時、私と父が上半身を持ち、Tさんが足を持った。伯父の足を持つ時Tさんは、「せんせ、かいたろ。(かついであげましょう)」と言った。先生を囲むのも担ぐのも似たようなものだとも言えるし大変な違いだとも言える。
囲む方も囲まれる方も幸せなら、担ぐ方も担がれる方も幸せだと言って言えないこともない、と思う。
さて、妹たちの「先生を囲む会」は、最近は毎年これが最後かと言いながら続いているのである。去年の同窓会の後、先生から葉書が来たそうだ。「東京からわざわざありがとう。ご主人に不便な思いをさせて申し訳ない」
「ご主人に不便な思いをさせて申し訳ない」!
じ〜〜〜んときますね。
妹は、大学の食物科に学び、卒業後助手として研究室に残った、と言うと、料理の専門家だと思う人があるかもしれない。しかし、兄として思い返して、妹と料理は結びつかない。食べることに関しては、妹としっかりと、いまだにかたく結びついているが、作る方は結びつかない。
ひとつだけ思い出した。助手時代、生徒に「アジの三枚おろし」を教えることになって、家で練習したことがあった。一週間、毎日アジを食べさせられた。
知り合いに手品が趣味の人がいる。会社の宴会などでよく披露していた。
まあ、「手品ですね」という感じのものであった。
田辺聖子さん紹介の川柳。
「知ってるかあははと手品やめにする」
そんな程度であると思えたが、本人は真剣に打ち込んでいたようだ。その人の息子がこぼしていた。たまごを使う手品を練習し始めると毎日毎日たまごばかり食べなければならないそうだ。
妹たち食物科の同窓会は、学生時代先生に教えられたことを基礎に、その後の家庭生活などでの長年の経験を生かし、生徒たちが腕によりをかけた手料理の数々で先生をもてなすという心温まるものでないことが残念である。