ディアドラ・マスク著『住所録』という本を読み始めたところです。
郵便屋さんが「住所」を必要とすることはわかります。
世界銀行が、「貧困から抜け出すために『住所』が必要」というのはわかりにくいなあと思ってたら、続けて「感染症」が出てきたのにびっくりしました。
感染症にも住所が必要。
ウイルスが住所録を頼りに伝染、ということではありません。
感染症でパタパタ死んでいってもその人の住所がわからなければ原因がわからないと言うんです。
19世紀半ば、ロンドンでコレラが大流行した。
当時これらの原因は悪臭だということになっていた。
コレラの犠牲者は貧しい人が多かったけど、それは貧民の生活レベルが低いからだとされていた。
ロンドンのジョン・スノウというお医者さんが、死んだ人の住所を頼りに地図に書き入れて行ったところ、コレラによる死者が集中している地域があることがわかった。
その地域には市民が飲む水のポンプがあったので、ジョン・スノウは飲料水の汚染がコレラの原因ではないかと考えた。
そのころ「戸籍制度」が整いつつあって、病死を「死亡届」プラス「住所」でとらえる医者も出てきた。
これが「感染症学」の基礎になる考え方で、ジョン・スノウは「感染症学の父」と言われているそうです。
エボラ出血熱でもコロナでも、感染症対策はとにかく「どこで発生してどう伝わっているのか」を特定することからはじまる。
感染症の基本は住所と地図。
世界のどこかで伝染病が発生して駆けつけた医師団が最初にやることは付近の地図の作成だそうです。
「グーグルマップがあるじゃないか」と思うんですが、そう簡単な話じゃないみたいです。
グーグルに任せてはダメだ!という人たちが「オープンストリートマップ」とか「ミッシングマップ」とかいう運動(?)をしていて、世界中のボランティアの力で自分たちの地図を作ろうとしてるようです。
私にはよくわからん話ですが大事なことのように思います。
『住所録』という本に感染症が出てくるとは思いませんでした。
「住所」は思ってたより深く重いようです。