若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ファーマーズブラッドハウンド

最近テレビでユーチューブを見てます。

最近のテレビは、放送局がやってる番組が見られるだけじゃないんですね。

なんかわからんけどいろんな動画を流してる。

小学3年生のあきらくんがウチに来るとユーチューブを見るのでつられて最近見るようになったんです。

 

世界中のいろんな人がホントにいろんな動画を流してる。

 

乗馬の動画もたくさんあります。

世界大会から日本人講師のレッスンまで。

なんと言っても一番面白いのは「落馬特集」です。

障害馬術というのは実に危険ですね。

馬といっしょに宙返りで落馬という派手なのもあります。

乗馬クラブでも一度だけ騎手の宙返りを見たことがあります。

いろんな「落馬名場面集」をやってますが「東京オリンピック落馬特集」には驚きました。

オリンピックでもたくさん落馬があるんですね。

 

「ファーマーズブラッドハウンド」というのがあったので見ました。

イギリスの田舎で数十人のおじさんたちが馬に乗って走る。

垣根とか植え込みとか小川とかを飛び越え飛び越え、かなりの速度でエンエンと走り続ける。

おじさんじゃなくて女子高生限定みたいなのもあるようです。

いろんなクラスに分かれてるんでしょう。

見渡す限りの荒野を走ってる感じなんですが収穫がすんだ畑のようでもある。

小麦か大麦かカラスムギか知らんけど。

参加者は素人みたいなんですが非常に激しく危険な乗馬だと思いました。

 

インターネットで調べました。

歴史的社会的背景を知らないからよくわかりませんが、こういうことを主催してる団体があるんですね。

「ブラッドハウンド」というのは猟犬の種類みたい。

たくさんの犬がいっしょに走ってる動画もありました

イギリス伝統の「キツネ狩り」の灯を絶やすな!という趣旨なのかもしれない。

 

主催団体のページを読んでたら「危険ですから参加者は保険に入ってください」と書いてありました。

距離は約20キロで障害の数は30ほど。

 

こんな写真が出てます。

馬のしっぽです。

参加者への指示なんですが「あなたの馬が蹴るクセがあるならしっぽに赤いテープを巻いてください。経験の浅い馬は初心者マークとして緑のテープを巻いてください」とのことです。

「ほかの参加者の注意を促すためですが、テープを巻いたからと言ってあなたに責任がないというわけではありません」とのことです。

 

イギリス各地の大地主さんがこのイベントのために畑を提供してるようです。

 

イギリス、奥が深いです。

向こうから見たら日本も深いと思うけど。

 

基礎形体

小学3年生のあきらくんが「子供絵画教室」の体験レッスンに行きました。

私に張りあって、というわけじゃない、と思います。

 

1時間がんばった成果を見せてもらいました。

「絵画教室」というだけあって「お絵描き」ではなくいきなり「基礎形体」です。

 

私が美術予備校に行った時のことを思い出しました。

「基礎形体」には苦労しました。

円柱とか円錐とか球体とか立方体とかを鉛筆で描く。

おもしろくないんですよね。

で、わたしは予備校の先生に「基礎形体抜きで石膏デッサンから始めたい」と言ったんです。

先生は頑として許してくれなかった。

 

「基礎形体から始めるのが結局は早いんです」

 

そうかもしれんけどおもしろくなかった。

しぶしぶいやいやがんばりました。

 

あきらくんは結構楽しんだみたい。

いい感じでした。

ほのぼのとした基礎形体。

石膏でできたものには見えない。

 

なんちゅうか、とうふ、こんにゃく、厚揚げ、ごぼてん、ちくわなどを思い起こさせるんです。

おでん系基礎形体。

基礎形体から入って自然をつかむというのを飛び越えてあきらくんはいきなり自然をつかんでる。

湯気が上がってるようで、これからの季節にはいいと思いました。

ほうきでたたく

きのう、ほうきでたたく話を書いてもう一件思い出した。

 

以前通ってた散髪屋の奥さんの話。

男の孫が一人いて高校を出て職につかないのを心配してた。

その子がレストランの店員の面接を受けるというので喜んだ。

喜んで孫の髪を黒に染めてやった。

その子はピンクに染めてたんです。

髪がピンクでは面接は受からないからおばあちゃんが染めてやると言っていやがるのを無理やり黒に染めた。

 

何日かして 来たので面接はどうだったか聞いたら落ちたという。

なんと、あの日帰ってからすぐピンクに染めなおして面接に行ったというではないか。

 

「腹が立って腹が立って、おばあちゃんがどんだけ心配してるかわからんのか!ってほうきでバンバンたたきまくってやったわ!」

 

孫をほうきでたたきまくるおばあちゃん。

しみじみしました。

 

この散髪屋ではよくしみじみした。

 

通いだしたころ小学生の女の子がいた。

一人娘であっという間にセーラー服になってあっという間に結婚してあっという間に男の子(ピンクの孫)ができた。

小さな男の子を連れてよく店に来た。

奥さんがぼやいてた。

 

「こないだ娘が帰った後冷蔵庫を見たらすっからかん!私らの食べるものがぜんぜんないんよ。なんでも持って帰ってええとは言うてあるけど、すっからかんよ!市場に買いに走ったわ」

 

「こないだ娘が帰った後冷蔵庫を見たら市場で買った肉がないんよ。それはええんやけど、あとで来た時の言い草が腹立つ。『おかあちゃん、市場の肉はあかんわ。肉はデパートで買い』やて!あほらしい!何でこの忙しい私がデパートまで肉買いに行かんならんの!」

 

あるとき娘さんと子供が店で夕食を食べることになった。

おやじさんが中華料理の出前を取るように言って娘さんが電話した。

 

「もしもし、出前お願いします。ラーメン三つ、焼きそば三つ、チャーハンふたつ、餃子三つ、酢豚ふたつ、シューマイ・・・」

「オイオイ!それ、誰が食うんや!」

「誰がってこれぐらい食べるやろ」

 

親子が言い合うのをしみじみ聞いていたのであった。

 

 

 

 

広報担当

てっちゃん訪問。

 

訪問するとみいちゃんがいろいろお話をしてくれる。

運動会があって体操の時みいちゃんがみんなの前で台に立って体操した。

「リーダーさんだったの?」

「リーダーさんじゃないよ。お手本」

 

「組体操はどうだった?うまくできた?」

「・・・まあまあ」

冷めた感じである。

「まあまあってどういうこと?」

 

ママの解説によると、うまくいったんだけどみいちゃんとしては細かい点に不満があってやりなおしたいんだそうです。

完璧主義ですね。

 

てっちゃんは生後ひと月をすぎてよくしゃべるようになりました。

「へーほーうえーふんぎゃー」

 

みいちゃんがかいがいしくお世話してるようです。

幼稚園でてっちゃん情報をしゃべりまくってるみたい。

先生、用務員のおじさん、ほかの子のママさんたちまで最新情報がいきわたってて、ママはびっくりしてます。

 

てっちゃんの広報担当ですね。

 

ウチの次女は幼稚園や学校のことをよくしゃべりました。

高校、大学、会社に入ってもしゃべりまくった。

課長がどうとか係長がどうとか倉庫のおじさんがどうとか。

娘の会社の内情をこれほどよく知ってる親はないと思いました。

 

次女の学校報告でおぼえてるのは小学6年生の時。

「今日A君とBさんがものすごいけんかした」

A君はよく名前の出る「ものすっごく乱暴な悪い子」です。

 

「ほうきを持ち出してバンバンたたいてワーワー泣いておおさわぎやった」

「女の子をほうきでたたくなんてA君てほんとに悪い子やなあ」

「ちがうちがう。たたいたのはBさん。ほうき振り回してすごかった」

 

『私の修業時代』

ちびちび読んでた『私の修業時代』、やっと読み終わりました。

明治大正にかけて活躍したイギリスの社会学者ベアトリス・ウエブの自伝的な本です。

 

彼女の父親はやり手の実業家で億万長者で、美人で頭のいい彼女はロンドン社交界の花形だった。

当時のイギリスは産業革命を経て空前の繁栄を誇る一方、首都ロンドンだけでも何百万の労働者が極貧の生活にあえいでいた。

彼女は、「こういう社会はおかしい」と感じた若者の一人だった。

 

父親の周囲の実業家たちの言動は醜悪であると思えた。

「水が低きに流れるように労働者の賃金は低くなるのが自然だ」

「利益というのは労働者をこき使って手に入れるものだ」

 

世の中を変えなければと思って労働問題の研究を始めた。

資料は大量に集めて本を書こうとしたがうまくいかない。

どうしたらいいか悩んでたら女友達が「シドニー・ウエブに相談したら?」と言った。

シドニー・ウエブは当時評判の学者、批評家で彼女も名前は知ってた。

「彼、何でも知ってるのよ。ひとつ聞いたら百答えてくれるわよ」

 

シドニー・ウエブに会ってみたらその通りだった。

「この本を読め、あの記事を読め、それはこの法律で、もっと知りたければ誰に聞け」

実に親切に指導してくれる。

そして何度も会ううち、「キミの本だけど一人ではムリだよ。ぼくが手伝えば立派な本になるよ」と言った。

はは~ん、ただの親切じゃないなと感づいた。

感づいてから結婚まで一直線です。

 

結婚で『私の修業時代』は終わります。

 

「結婚によって『私の修業時代』は終わり、『私たちの共同研究時代』が始まります。私たちは志を同じくする戦友でした。私たちの同志的結合は結婚によって完璧なものになったのです。世の中には様々な形の幸せがありますが私たちの結婚以上の幸せはないでしょう」

 

お~めでとうございます!(^^)/

これほどめでたく読み終わった本はありません。

 

お二人の共著はたくさんあります。

労働組合運動史』『産業民主制論』等々。

べつにヤキモチ焼いてるわけじゃないけど読む気しない。

 

 

 

 

 

 

キンモクセイ、桜、旧郵政宿舎

今日は自治会のパトロール

小雨が降って肌寒かったです。

 

歩いてる間中行く先々でキンモクセイの香りがしました。

庭にキンモクセイを植えるのが流行った時期があったんですね。

最近町内に建つ家にはいかにも「植木!」というようなのはありません。

 

歩いているとHさんが「とうとう枯れたなあ!」と声をあげた。

あるお宅の大きな桜の木が黒々と雨に濡れてた。

見事な八重桜だったんですが。

はなちゃんが生まれて乳母車で町内を回ってるとけっこう庭の桜の木が楽しめたんです。

Hさんの話では桜は50年ということなので町内の桜もそろそろ寿命なのかもしれない。

 

さらに歩いて行くと「旧郵政宿舎」の取り壊しが始まってた。

この町内には「郵政宿舎」と「国家公務員宿舎」の二つの団地があったんです。

「国家公務員宿舎」の方は早くに取り壊されて百数十戸ほどの住宅地になりました。

郵政宿舎はどういうわけか一棟だけ取り壊して後は残ってた。

いよいよ全部取り壊すみたい。

 

またHさんが「5階建てでエレベーターなしやで。できた当時は20代か30代の人ばっかりやったからいけたんやろな」としみじみ。

 

小雨で肌寒かったからかなんとなくわびしい雰囲気のパトロールであった。

 

時間感覚2

小学3年生のしょうちゃんにとって「中学生になる」というのは実感できない。

今のままで時間がたてば中学生になれるとは思えない。

タイムマシンにでも乗らなければ中学生にはなれない。

4年先のことではあるが今のしょうちゃんには「中学」はもうろうとした異次元別世界。

 

で、わたしのことも思い出しました。

父方の祖父は昭和16年に亡くなってます。

私が生まれる5年前。

子供のころの私にとって「5年前」というのが「異次元別世界」でした。

「おじいさんは、はるかむかしむかし、想像することさえできない大昔に亡くなったんだ」と思ってました。

ず~~~っとそう思ってた。

40代か50代になってから、「おじいさんは私が生まれるほんの5年前に亡くなったんだ」と思うようになった。

 

ヤマハエレキギターを習うようになって5年目のこと。

高校1年生の男の子が入って来た。

その子が「若草さんはどれくらい習ってるんですか?」と聞くので「5年」と答えたら、「えっ!5年!」とたいそう驚いた。

あんまり驚いたのでこっちが驚いた。

で、よく考えてみると、5年前と言うのは彼が小学5年生である。

 

彼が小学5年生から6年生仰げば尊しわが師の恩と校門を出でてより中学時代声も変わり背も伸びにきびも吹き出し蛍雪の功めでたく高校に合格するまでエレキギターを習ってると言えばそらびっくりするほど長いわ。

 

今の私にとって5年先と言えば80過ぎてますが、はるか先の話のように思う。

小学生のころとあんまり時間感覚変わってないのかな。