若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日本道路公団藤井総裁の進退について

道路公団の藤井総裁が、注目の的である。

しかし、これは誰かを悪役に仕立てて、たたけばすむという問題ではない。

藤井総裁が領民を虐げ私腹を肥やす悪代官で、小泉首相暴れん坊将軍で、石原大臣が遠山の金さんなら話は簡単であるが、現実はテレビの時代物ほど単純ではない。

道路公団の問題は「システム不全」というべきものである。
藤井氏をはじめとする官僚も、政治家達も、企業も、そのシステムを構成している当事者なのである。
こういう見方をしないと、この問題を正確に理解することはできない。

道路公団の民営化については、私も道路族の一人として当初から注目してきた。
一般には知られていないが、私は道路族なのである。

まず、日本道路公団総裁藤井治芳氏の経歴を紹介しよう。

藤井さんは、東京都出身、三人兄弟のご長男として、ご両親の愛情を一身に受けてすくすくと成長されました。
東京大学土木工学科大学院を優秀な成績で卒業され、1962年建設省入省、道路課に配属され、業務に励まれるかたわら、茶道を裏千家、華道は未生流、料理は土井勝料理教室で学ばれるという、ごらんの通りの才色兼備のお嬢さんでございます。

まちがいました。
親戚の結婚式のあいさつの下書きとごっちゃになりました。
失礼しました。

というようなわけで、「道路のことなら藤井さん」といわれる通り、道路作り一筋に歩んでこられました。

なぜそれほどまでに道路作りにこだわるのか。

藤井氏の祖先は、薩摩の国都城近在の農家であった。
かつて、道普請や用水路の補修などは、村人達自身が共同で行ってきたのであるが、寛政年間、当主藤井伝左衛門は道普請をさぼり、村人から恨まれた挙句、狂い死にした。

伝左衛門が死ぬ直前、道祖神が枕元に現れ、「七代後の子孫に、死ぬまで道を作り続けさせるぞー」と、恐ろしい声で叫んだのじゃ。

藤井氏が建設省に入省した四月一日の丑三つ時、氏の枕元に道祖神が現れた。

「おまえは死ぬまで道を作り続けるのじゃー!」
「ギャー!苦しー!作ります!作り続けます!」
「いや!伝左衛門の子孫の言うことなど信じられん!」
道祖神様!道祖信じてください!」
「え〜かげんにしなさい!」
「ほんとにネッ!」

道祖神との深夜漫才以来、藤井総裁には道祖神が取り付いているのである。
タタリである。
道路行政に携わるものは、道祖神を敬え。