若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「骨董症候群:目利きへの遍歴」を読む

末続尭著。
著者は、若い頃から骨董の収集が趣味で、日産を定年退職後、市民講座などで講師をしておられる。
サラリーマンの理想の姿の一つでしょう。

私は、骨董にも収集にも縁が無い。
しかし、「骨董モノ」を読むのは好きである。
それも、掘り出し物を手に入れた喜びや、偽物をつかんだ悔しさが楽しいという、非常に俗っぽい「骨董モノファン」である。

うれしかっただろうなあ、と思う一例は、夜店で何千円かで買った古い油絵が、明治時代の油絵の開拓者、高橋由一の作品であったという話。

がっかりしただろうなと思う一例は、私の友人の体験談。
彼は、某国立大学の美術関係の教授である。

大学の倉庫の整理をしていたら、古ぼけた日本画が出てきた。
友人は日本画は専門外だが、一目見て、「むむっ!こ、これは!」とうなった。
サインに目を近づけると、「大観」!
横山大観である。

友人のただならぬ様子に、助手が
「先生、これは何ですか?」
「これは大変だ」
「大変?いや、先生、大観と書いてありますよ」
「そう!大変だ!」
「いや、大観です」
「え〜かげんにしなさい!」
「ほんとにネッ!」

友人は、あわててその絵を車に積んで東海道をひた走り、東京の横山大観美術館に駆け込んだ。
美術館の学芸員は、一目見るなり気の毒そうに
「これは写真です」

骨董の世界では、本物と偽物を見分けるのが勝負である。
しかし、この世界では、偽物であっても、「偽物です」とは言わないそうだ。
「あまりよくない」とか「いけない」とか言うそうである。
「偽物です」と言ってるのと同じだと思うのであるが。

末続さんは、自分の骨董歴を小説仕立てで書いている。
まあ、小説も書いてみたかったんだろうなー、という出来栄えである。

末続さんが長野に勤務していた時、唐三彩を買った。
よく分かっていない骨董屋から、物凄い掘り出し物を手に入れるというパターンである。
本物に違いないと思いながら、専門家の意見が聞きたくて、東京の有名な骨董店に持ち込んで鑑定を依頼した。

その店の社長は、本物とも偽物とも言わず、「いいものです。家宝にして大切にされるといいでしょう」と繰り返すだけであった。

どっちやねん!?と思いますね。

その心は、「また売りに出すと、他に迷惑する人が出るから、家において置け」ということだそうです。