若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

紫雲丸

朝刊に「紫雲丸」という文字。
その文字を見ただけで何となく胸騒ぎがする。

昭和30年5月、宇高連絡船「紫雲丸」と「第三宇高丸」が濃霧の瀬戸内海で衝突、「紫雲丸」は数分で沈没し、百数十名が亡くなった。
修学旅行の小中学生に多くの犠牲者が出た。
その時助かった人たちが、もう一度修学旅行をやろうという記事だった。

その前年に青函連絡船「洞爺丸」が台風で沈没して、千名以上の犠牲者を出している。

当時はテレビも無く、新聞とラジオだけだから、小学2、3年生だった私は、この事故のことをどれほど知っていただろうか。

詳しいことは知らなかったはずだが、それ以後、「洞爺丸」と「紫雲丸」という名前は私にとって、「人生で私を待ち構えているなにか得体の知れぬ不吉な恐ろしいもの」の象徴だった。

その「紫雲丸」事故で一命を取りとめた人たちが50年ぶりで修学旅行をするというのだ。
なんだかほっとする話であった。

インターネットで、「紫雲丸」について調べていたら、アメリカの潜水艦と衝突して沈没した練習船えひめ丸」の事が出てきた。
えひめ丸」事故の時、海上自衛隊の隊員としてアメリカ側との折衝にあたった人のお兄さんが「紫雲丸」事故の犠牲者だったそうだ。

お母さんといっしょに乗船していて、子供だけが亡くなったのだ。
事故の六年後に生まれたこの人は、中学になって初めてその事実を知らされたそうだ。
朝刊の記事を読んで私は少し慰められたが、このおかあさんなど、悲しみを新たにした方も多かっただろう。