若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

福田官房長官辞任の真相

福田官房長官の衝撃的な辞任について、年金未納問題がその原因であると言われているが、その程度のことで辞任するような人ではない。
福田氏が、年金未納を全く問題にしていなかった事は、記者会見の態度でも明白である。

辞任の原因はイラク人質問題と絡んでいる。
福田氏を辞任に追い込んだのは、若草鹿之助商店情報事業部のスクープである。

福田氏は、イラクでの人質について自己責任論を展開したが、実は福田氏自身学生時代、ボランティア活動でキューバで人質になったことがあることが判明した。

早稲田大学時代、「怒れる若者達」の一人であった福田氏は、青年らしい正義感と自民党の大物政治家であった父親への反抗心から、バティスタ政権の独裁にあえぐキューバ人民の支援を志したのであった。

親の七光りを拒否しようと、福田氏は「福田康子」と名前を変え、女装してハバナのスラム街で孤児たちの世話をした。
その時、カストロ率いる革命軍の人質となったのだ。
革命軍は日本政府に対して、アメリカのバティスタ支持をやめさせるよう求めた。

日本政府は身代金を払い、福田氏は解放されたが、「私はキューバの人たちが好きです。またハバナに戻りたいと思います」と言って日本政府を激怒させた。

その後福田氏はキューバの現状を世界に知らせたいとフォトジャーナリストを志し、革命前夜のハバナに入った。
福田氏は革命軍を支持する新聞を毎朝発行して、市民の支持を受けた。
コピー機も無い頃だから、カーボン紙で複写した新聞なので、ハバナ市民は、「福田カーボン朝刊」と呼んで愛読した。

若気の至りとはいえ、このような経歴は当然父親の政治生命を危うくしたが、その後追及されると福田氏は、キューバへは風景写真をとりに行っていたとごまかした。
これがほんとの急場しのぎである。

昭和34年、キューバ革命の成功と同時に大学を卒業した福田氏は「怒れる若者」も卒業して立派な大人になって現在にいたっている。

経歴を見るとわかるが、福田氏は平成9年「日本イエメン協会」会長に就任している。
なぜか?
私だけが知っている。
実はこの年、福田氏は私と「日本イケメン協会」会長の座を争って大差で敗れ、悔しさのあまり、一字違いの「日本イエメン協会」会長に就任したのである。

福田氏が何かにつけて私を敵視するのは、このときの恨みが忘れられないからだろう。