若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

勲記

四日にのどが痛くなったと思ったら、きのうから熱が出て寝ている。
例によって、37度ほどの高熱にうなされる。

掛け軸を整理していたら、祖父と父の「勲記」が出てきた。勲章をあげます、という表彰状だ。

祖父は、明治二十九年に、陸軍歩兵一等軍曹として、勲八等をもらっている。その後、大正四年に勲七等をもらっている。
日本国皇帝」が授与すると書いてある。
父は、昭和十五年に、陸軍歩兵伍長として、勲七等と、功七級金鵄勲章をもらっている。
大日本帝国天皇」が授与すると書いてある。

どのあたりで、「日本国皇帝」が「大日本帝国天皇」になったのであろうか。

子供のころ、父の金鵄勲章を見つけて私は「スゴイ!」と思った。
ところが、父が、「その勲章は値打ちがないんや。誰でももらえたんや」と言ったので、がっかりした。

今度、「勲記」といっしょに、小さな紙が出てきた。
それには、金鵄勲章とともに「金千三百円ヲ授ケ賜フ」と書いてあった。
当時の千三百円は大金だ。月給が五十円とすると年収の二年分になる。
家が買えたのじゃないか。
「誰でももらえた」にしては、金額が大きい。

ひょっとすると、千三百円といっても、現金ではなく国債だったのかも知れない。
インターネットで調べると、やはり国債だったようだ。
うまくできてます。
敗戦でパーだ。
後にうめあわせのために、父ていどの「誰でももらえた」金鵄勲章受章者は、三万円もらったようだ。

インターネットで調べて、金鵄勲章にも「功一級」から「功七級」まで等級があったことを知った。
上のほうはえらい人がもらうのである。授与金も桁が違っただろう。
以前読んだ本で、海軍の軍人だった人が、「えらい人たちは、そう危険な目にも会わず、やれ戦地手当てだ、手柄を立てれば下賜金だとなれば、戦争をしたがったはずだ」と書いていた。
えらい人には要注意だ。