若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

続・藤沢南岳

きのう藤沢南岳について調べていて、ある女性のホームページを知った。

この方のお父さんは明治八年に生まれ、南画家田能村竹田に憧れ京都に上ぼり田能村直入に師事。漢詩を藤沢南岳に学ばれた。

お父さんの作品を紹介したくてホームページを作られたそうだが、その中の「漢詩を藤沢南岳先生に学ぶ」という言葉で、検索に引っ掛かるのだから不思議なものだ。

ご縁があるようなないようなものだが、「藤沢南岳」でかすかにつながっているのが、なんとなく楽しいので早速メールを入れた。
この方は今は京都在住だが、小学生まで大阪で過ごされたということなので、伯母の日記に興味を持ってもらえるかもしれないと思って「ある職業婦人の日記」を紹介した。

すぐ返事をいただいた。
なんと、この方のお姉さんが明治44年生まれで、伯母と同じ大阪女専英文科卒業とのこと。
伯母は明治42年生まれだから、英文科の二年先輩ということになる。顔見知りだったかも知れない。
おまけに、伯母は大阪観光協会に勤めていたが、この方のお姉さんは交通公社。
生涯独身というところまで似ている。

伯母の日記には、それらしい記述がないので、つきあいはなかったのだろう。

う〜ん、それにしても、これはインターネットの楽しさの一つだ。
漢学者藤沢南岳先生がインターネットを通じて取り持つ不思議な縁だ。
先生は「通天閣」「寒霞渓」など、ネーミングの権威だったようだが、「インターネット」はどう名づけられたであろうか。

南岳は欧化主義に反発していたそうだ。
弟子に、「最近、『自由』という言葉を聞くが、どういうものか」と質問した。
弟子が、「『自由』とは、『リバティ』の訳語です。『リバティ』というのはこういうものです」と詳しく説明した。
その説明を聞いた南岳は、「そういう意味なら『自由』と訳すのはおかしい。『道理』と訳すべきだ」と言ったそうだ。

わかったようなわからんような話だが、南岳がえらい人だということはわかるように思う。