若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

藤沢南岳

朝刊に「掛け軸」について書かれた投稿があったので、家内が我家の掛け軸の整理をしはじめた。

祖父が集めた二十数本の軸だ。
子供の頃から母が季節毎にかけかえるのが楽しみだった。
祖父は、私が生まれる前に亡くなっているが、掛け軸や置物を遺したので身近に感じる。「これは、おじいさんの・・」と聞かされてきた。

奈良に越してからは床の間もなく、せっかくの掛け軸もしまったままだった。
久しぶりに見ると懐かしいものだ。祖父は色々なものを買い集めているが、掛け軸が一番良いものがそろっていると思う。

見慣れた軸の中に初めて見るものもあった。
乃木希典が書いた手紙を軸にしたものだ。
「独逸皇帝に拝謁を許された時の写真」がどうとか書いてあるようだ。達筆なのでよくわからない。
祖父の後妻となった祖母は東京の人で、乃木将軍の姪かなにかだと聞いたことがある。自分の家に来た乃木将軍からの手紙を、軸にしたのだろう。

私が幼い頃はまだ進駐軍がいた。私が、蓄音機で軍歌をかけたら、母が、「MPが来るからやめなさい」と言った事がある。
ひょっとすると母は、「乃木将軍の軸」をかけたらMPが来ると思って隠していたのかもしれない。

他に「南岳」と署名のある見たことのない軸が二つあった。
漢詩が書いてある。絵がないので母がかけなかったのだろう。
一つには、祖父の名前があって、「賢兄」と記されているから、祖父のために書かれたものだ。

「南岳」とはどんな人かわかるだろうかと、インターネットで調べた。
あった。
藤沢南岳。明治から大正にかけての大阪で有名な漢学者だ。私塾を開いて門弟三千人と言われたそうだ。大阪の「通天閣」や小豆島の「寒霞渓」などの名付け親でもある。

祖父と交流があったのか、ただ頼んで書いてもらっただけなのか。こういうものは曰く因縁がないと面白味半減である。だいたい字が読めないと言うのが情けない。

昔、誰だったか、経済学者が書いていた。
日本に来たアメリカ人学者を美術館に案内した。江戸時代の手紙が展示してあった。アメリカ人に、何と書いてあるのか聞かれて、読めないと言ったら、信じられないと言う顔をしたそうだ。

子供の頃、母あてに来る続け字の葉書が読めなかった。
母が読めるのが不思議だった。おとなになれば読めるようになるのだと思っていたのだが・・・。