若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

村上重良『日本史の中の天皇』

副題が「宗教学から見た天皇制」となっていて、「大王から天皇へ」、「祭祀王・天皇」「三種の神器」などの問題について詳しくわかりやすく書いてあるので、読み終わると一気に賢くなったような気がしてうれしい。

今、天皇について試験をされたら、60点くらい取れそうだ。明日で40点、来週なら20点。試験は早い方がいい。

こういう、「数十年の研究の成果をまとめた」という感じの本は実にありがたい。自分がその専門家になったような気がする。たぶん私の性格に問題があるのだろうが、いつもそんな気になる。
『為替と国際経済』という本を読むと、「為替と国際経済」の専門家になったような気になる。自分のクセわかっているので、そういう本を読んでから誰かとその問題について話す時は、慎重を期して一応断りを入れる。

「私は為替と国際経済の専門家ではありませんが・・・・」
わかってる、と言われることが多い。

さて、この本の執筆当時(1986年)、宮内庁の役人は千百人ほどで、その他、陵墓の管理に二百数十人、皇宮警察が九百人と書いてある。
著者の計算では、日本の皇室予算はイギリスの王室予算の十倍だということで、役人の数が多すぎるという意見だ。

私は天皇制の専門家ではないが、皇位継承問題以外にも色々考えなければならないと思った。私たち国民は、蘇我氏物部氏藤原氏徳川幕府に代わってこういう問題を処理しなければならない。大変である。

楽しいことも書いてある。天皇の命令は、「詔勅」といって、出す手続きも大変であったが、天皇の権威がどんどん下がった鎌倉、室町時代になると、女官たちがかなり適当に作った。「女房奉書」と言って、かな書きだったが、ヘンな趣味の天皇がいて、自分で「女房奉書」を書いたそうだ。
女装趣味に近いヘンタイだと思う。

もう一つうれしいことがあった。
前に我が家の掛け軸を整理した時、祖父と父の勲記が出てきた。祖父の勲記は、「大日本帝国皇帝」、父のは、「大日本帝国天皇」になっていた。なぜ変わったのかと思っていた。
明治政府が文書を出す時、清国が、「天皇というのは神様で、元首としてはおかしい」と言うので、しぶしぶ「皇帝」にしていたのだ。
昭和十一年になって、もう向こうに遠慮する必要はないということで「天皇」にしたそうだ。

わかりました。