『讃岐典侍日記』パート2と聞いて、「讃岐典侍の逆襲!」「讃岐典侍リターンズ」とか思う人はハリウッド映画の見すぎです。
私は、『讃岐典侍日記』を読んだことがない。
いいじゃないか。
読んだことがなくったって。
人間だもの。
相田みつおさんは便利だ。
「癒し系詩人」と言われているが、「居直り系詩人」と呼んだほうがいい。
「我には許せ敷島の道」も、居直りだ。
「人間誰かて一つや二つクセはあるがな。ごちゃごちゃぬかすな。歌ぐらい好きに詠ませたれよ!」と、ケツをまくっているのだ。
「詠ませたれよ!」とケツをまくるのは下品である。
「我には許せ」は、お上品に、優雅にケツをまくっていると言える。
世界に誇りうる不朽の名作である。
慈円は、地位も名誉も手に入れた。
そして、地位も名誉もほしくない、という歌をたくさん作った。
えらい、と思うか、いい気なもんだと思うかでその人の器量がわかる。
私は、えらいと思うことにした。
慈円は、保元の乱のころに生まれ、戦乱につぐ戦乱の時代を生きた。
承久の乱までの十数年、珍しく平和な時が続いた。
慈円は、自分の祈祷の成果だと自負していたらしい。
祈祷の時代である。
前に読んだ本で、ある貴族が、雨乞いの祈祷の成功率をチェックしている話が出てきた。
「Aというお坊さんは、5回祈祷して4回降らせた。B師は4回祈祷して1回」
病気を治すとか、安産を祈るとか、祈り殺すとかは失敗例も多かっただろう。
それでも信用がなくならないのは不思議である。
まあ、今でもそうか。
失敗しても責任を取らない、追求もしない。
それでも、慈円を含め、自分の死期が近づくと、祈祷が役に立たないと思い始めるようだ。
この世のことはあきらめて、極楽往生。
祈祷をやめて念仏。
多賀宗隼著『慈円』の終わり近くに、『讃岐典侍日記』が出てくる。
お待たせしました。
堀川天皇に仕えた讃岐典侍は、天皇の臨終の様子を詳しく書き記している。
高僧たちが、宮中に護摩壇を築き熱心に祈祷したが、天皇は死んでしまった。
泣き叫ぶ女房たち。
バツが悪そうな高僧たち。
そこにのこのこと天台座主登場。
女房が叫ぶ。
「なにが座主じゃ!この役立たず!」(ホントはもう少し上品です)
いいんじゃないでしょうか。
健全な反応だ。
さすが藤原部長、冷静に記録してますね。